原始時代に「うつ」はなかった

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原始時代にうつはなかった。
心身ともに疲れきった状態での行動に、感情面からブレーキをかけるうつ的なものが長期間存在できなかったからである。
疲労困憊したら自然環境に負けたり獣に襲われたりして即座に命を落としていたから。

痛みや疲れというものは人にとって原則、嫌なもの、ないほうがいいもの、忌み嫌われる感覚だろう。
自分自身がそれで苦しんでいるときには「いったい何処のどいつが、なんだってこんな嫌なものを作りやがったんだ!」とでも言いたくなる。

しかし、こういった「ブレーキ」がないと、生き物は際限なくエネルギーを使ってしまったり、危険を適切に認識して避けたり、対策をしようとしたりはしなくなってしまう。
それでは、個としても集団としても不利になってしまう。
まあ、ここでは人間という種が、必要に応じてその性質を手に入れたのか、それとも元々そうした特徴を持ったグループが残って繁栄したのかとかいう進化論的な話はとりあつかわない。

疲労しきってしまったときに、動かない(動きたくなくなる)とか、動けなくなる、休む、などというのはハイリスク、ハイリターンであり、状況によっては究極の選択と集中だろう。
繰り返しになるが、人間が個としても集団としても、周りから比べれば相対的に弱小である場合には、ちょっと怪我をしたり、疲労したりしただけでも、生存を脅かす危険度は一気に上がり、閾値を越える可能性が高い。
こうした場合に有効な戦略は、慎重な行動などに向かうものではなく、メリハリの効いた、一か八か、一発逆転のものだ。

しかしながら、現代社会では、そこまで極端に変容したり、過剰に防御的になることはかえってマイナスが大きくなる。
これを、ブレーキなどの「誤作動」だと表現することもある。

長命になることによって「がん」という病気の危険や重大さがぐんぐんと上昇していることや、飢えに対抗するためにエネルギーを蓄える能力に秀でていたことが肥満や糖尿病をもたらしていることも基本的には同じ考え方でせつめいできる。

こういった考え方は即、科学的に正しいとか、論理的だとかいうものではないが、基礎的な研究や事実をつないで物事を本当に理解するための物語として重要だ。

2012-05-08 08:00

(関連エントリ)

長生きするようになって日本で癌死が増えた話から考えたこと | deathhacks

(関連書籍)

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裏メッセージとは何か、それをどう避けるか

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裏メッセージというのは、ある人が発した言葉や表した態度などによって、受け手が不快に感じたり、怒りを覚えたり、傷ついたりした場合に結果として判断される言動のことだ。これには、話し手などに「特に何かはっきりと伝えようと思ったことがあったわけではない。何の気なしに出た言葉」という場合もあるし、「まったく(裏メッセージとしてとられたような)そのような意図はなかった。むしろ良かれと思って言った」という場合もある。

いずれにしても両者の認識が異なっていて誤解が生じており、一方(通常はクライアント)が悲しさや腹立たしさというような気持ちになっている状態が生まれることになる。

裏メッセージがなぜ起こるかという背景になるのは「何を言うかではなく、誰が言うか」ということである。

先に書いたように、話し手は相手を傷つけようとか責めようという考えはないことが前提には確かにある。
とは言っても、厳しい指摘や非難、論理的とは言えないような理屈の強要であっても、聞き手が励まされたり、嬉しく思えたり、開き直る原動力になったりすることが世の中には実際ある。

内容ではなく「誰が言うか」が大事だというと、「自分は自分であって人格や立場を自由自在にクライアントに合わせて変えることなんかできない」とか「そもそも自分はそんなに立派な人間ではないから……」と思ってしまう人がいる。
「誰」というのはそれほど難しく、複雑なことは指していない。

話し手(クライアント)の状況や気持ちについて十分に知っているか。
知らないのであれば、まず十分に聞いてみようとしているか。
絶対量として、聞くこと、知ることに時間と労力を使ったか。
当然するべき質問を遠慮や自分の心理的ブロックによって尋ねそびれていないか。
こうしたことがメッセージを出すときの「誰」をクライアントから見て変化させる。

つまり、クライアントの話を聞いたり、状況や情報を教えてもらうことで、数分から数十分の時間の中でもクライアントから見たあなたの印象や立ち位置が変わるのだ。

あるメッセージを出して受け入れられないまでも、裏メッセージになることをなるべく避けるのには、自分の価値観を押し付けないことも重要だ。
いくら十分に相手の情報が頭に入ったとしてもそれが相手の持っている100%のものであるかやすべてが真実あるいは事実であるかはわからないものだ。
それなのに自分個人の考えや思うところの常識を唯一のもののように披露することは聞き手の価値観を否定することにつながり、裏メッセージとなりがちだ。

さらにこの傾向が強く熱心になると、心理カウンセリングなどではカウンセラーがクライアントの感じ方を変えるだとか、我慢するだとか、新しい行動をすることを提案し実行を約束させたり管理したりしようとすることにつながる。
結局、カウンセリングというものの基本原理から言えば、クライアントを変えることなどはできない。
クライアントが変わるようなサポートをしたり、カウンセラーや周囲との関係性にわずかに手を加えることくらいしかできないものだ。

こうして、裏メッセージがどのように生まれ、どうすることがその予防になるのかを色々と考えても実際の現場で決定打となるようなコツはない。
あれやこれやと練習したり、シミュレートしたりしても、裏か否かを決めるのは未だ見ぬ明日会うクライアントだからだ。

うつクライアントへの対応の場面として、一つ言うとすれば「うつクライアントはあらゆるメッセージを裏に取りやすい」ということを様々な形で理解しておかなくてはいけない。
同じ言葉や表情がうつの人にとっては、頭がうまく働かないことや自責、自分の存在価値の揺らぎ、不安などによって裏メッセージになってしまう。

裏メッセージが生まれてしまう原因の2割は説明不足だ。
頭がうまく働かない、誤解が生じやすいということをよくわかった上で、細かく反応や理解を確認したりするのが良い。
別に一度に流れよく話す必要はなく、随時付け足し、補足すればそれでも良い。

また、自責やクライアント自身の自己評価の低さなどを裏メッセージにつなげないためにはすでに述べたように時間と労力を省かずに費やして、十分にクライアントの状況や感じていることを知ることが要る。
これは「味方」になるということだ。
味方になる、ということはカウンセラーが「誰」であるかが変化していることを表してもいる。

2012-01-24 13:00

うつの「自分カミングアウト」は難しい

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うつであることを自分自身で認めることは難しい。

ゲイやレズビアンなどのセクシャルマイノリティやHIV感染、被差別的な出自などでは一般に、他人や社会に公表するという意味での「カミングアウト」という表現がある。
それがためらわれるのは、様々な不利益や差別が怖いからというのが一つの理由だ。

うつについても同じように、その状態や診断、治療、リハビリなどについて周囲の人間、家族、社会にどう伝えるか、あるいは伝えないかという悩みや問題が出てくる。

しかし、自分自身がその「うつ」についてどう考えるか、どこまでどのように受け入れるかということはあまり語られない。
それは、はっきりとした必要が認められないということと、目に見える形では誰にでもわかるように表現されることがほぼないという理由による。

たいてい、「自分カミングアウト」というものは、診断や社会への伝達よりも後の時期になってからされるものだ。
そして、そのときになって初めて本人・当事者は「ああ、なんだ。自分はうつで苦しい思いをしていたけれども、頭のどこかでは本当には理解して諦めて受け入れてはいなかったのだな」というふりかえりができるようになる。

それまでは、どこかで「何かの間違いではないか」「自分の場合は特別でいわゆる他の『うつ』とは違うのではないか」とかなりの部分、諦めていない。

別に、なるべく早く「自分カミングアウト」をした方がいいとか、それをして初めて順調なリハビリができるのだ、という話ではない。
ただ、事実と実感に近いだろうことを述べている。

考えてみれば、医療から診断を受けるとか、職場の同僚にうつのリハビリをしていくことを知ってもらうなども、1か0かという二者択一の話ではない。
当事者のことを深く真剣に理解して興味や思いやりを持ってくれる人もいれば、表面的な事実だけを記憶するだけで特に言動が変わるわけでもない人も、どちらも社会として周りにはいるだろう。

認知や認識というものがそもそもそういう性質を持っているのだろう。
自己と他己という違い、程度や範囲の違い、時間的な違いなどがあって、決して単純ではない。

別に自分の体験や状態を自ら語ることができれば良いというのでも、隠しているからダメなのだということも、どちらでもない。

2012-01-07 11:00

うつにおける復職するタイミング – その2

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昨日のエントリ(うつにおける復職するタイミング – その1 | deathhacks)で書いたように、うつの底期から回復してきた人が復職するタイミングは意識してコントロールすることが難しい。
「本人が希望していて」「担当医の許可や理解とサポートがあって」「解雇や金銭的問題、家族や親類との人間関係からくる問題などのような社会的プレッシャーに追い立てられたからというのでもなく」復帰のタイミングが来るということは現実にはありえないと言ってもいいくらいだ。
もしも、それに近い条件がそろっていたならばそのラッキーを喜ぶべきだ。

実際には「本人が復帰できそうだと思っていても、会社がオーケーを出さない」とか「まだ十分に休めていないが、これ以上時間が経てば解雇となり、却って社会的なストレスが増えてうつがまた悪化する」というような場合が多い。

こんなときカウンセラーとして全体を見てアドバイスやサポートをする上で、どのように考えればいいだろうか。

カウンセラーはクライアントの味方の一人ではあるが、同一人物ではない。
その客観的な立場とプロとしての強みをどう提供するかを考えなくてはいけない。

まず、復帰・復職そのもの、そしてタイミングについては、クライアントに「今がベストだ」と伝える。ただし「ベスト」だとは言っても、総合的に見て、他に調整のしようがない諦めも含むものだ。

クライアントにとって、復帰のタイミングについての不安は大きい。「まだ早過ぎるのではないか」と「これ以上遅くなると戻れなくなるのではないか」という相反する感覚や気持ちが程度や比率を変えながら同居している。しかし、この不安は当然のものだが、あまりにもそれが大きいことは、実際に復帰するという段階ではデメリットが大きい。だから、カウンセラーは「客観的に見て」「プロとして考えて」、今がベストだ、OKだと言ってサポートする。

これが、医師の立場であれば「100%大丈夫とは言えない」としか言わないし、復帰先の会社や組織としては「本当に受け入れても大丈夫なのか。どう補助していけばいいのだろうか」という不安問題を抱える。それと同じことをわざわざカウンセラーが一枚多く加わってする必要はない。せっかく居るのだから、適切に、違う面からのサポートや異なる部分を見る手伝いを探す。

復帰のサポート準備の考え方についてはコツと工夫をまた明日のエントリで。

その3に続く)

2011-12-30 11:00

うつにおける復職するタイミング – その1

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うつで病気休暇を取るなり、休職なりをした人が、元の職場などに戻ろうとする場合に、その時期・タイミングをどう決めればいいか。
そのトリガーにはいくつか考えられるが以下のようなものが思いつく。

  • 本人が復帰したくなった時
  • 担当医が復帰を勧め許可した時(医療を利用していたとして)
  • 金銭や勤務契約上、復帰しないと起こる不利益がとても大きい場合

項目としては挙げることができるが、現実的にはこれらの中から自由に選べるというものではない。
また、この中の一つというのではなく、2つまたは3つ、それ以外の要素が同時に、あるいはタイミングを前後して発生することのほうが多いだろう。

さて、そうすると、タイミングを選べないなりに、その復帰についての戦略や物心両面の準備や工夫が必要になる。

(次回その2へ続く)

2011-12-29 17:00

うつは治ると言う

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うつの人や惨事に遭った人に、自分以外のカウンセラーやセラピストが「治る」とか「大丈夫」と言っていたとして、そのことに疑問を感じたり、腹を立てたりするのはなぜだろう。

まず、「治る」とか「良くなる」という言葉のイメージが違う可能性を考えてしまう。
クライアントの「治る」とカウンセラーや周囲の人の「治る」の内容は往々にして異なる。

「治る」からイメージするものの違いが大きい | deathhacks

もしも、両者がイメージしているものが近いか同じだったとしても、それが未来において必ず実現するとは限らない。
論理的・科学的に考えて、時間が先のことを保証することは誰にもできない。

医療やコンサルティング、金融などは、未来を予想してその成果を商品として販売しているが、それがある確率で外れることは広く皆に了解されているから、トラブルに成る可能性がゼロではないけれど十分に少ない。
ところが、これがメンタルヘルス分野の話になると状況が変わる。
クライアントは自分の状態の回復に完全な期待をするし、実力があって経験を積んでいるカウンセラーほど完璧な効果を気軽に保証はしない。

しかし、プロフェッショナルであれば、効果や成果を保証するべきなのだ。
保証や自信、信頼や信じること自体が「治る」ことや「良くなる」ことに力を持つからだ。
もちろん「ダメ元でやってみよう」という同意がちょうどいいというケースもあるだろうけれども。

冒頭のように、他の同業者が気軽に「治る」と言うことに眉をひそめるのには2つの気持ちが込められている。
「そんなことを保証してうまくいかなかったら業界や同業の自分に迷惑がかかる(からやめて欲しい)」というものと「成果を保証してクライアントを勇気づけることができていてうらやましい」というものだ。
この2つはどちらも傍観者が感じるものとしてはもっともなものであると同時に、傍観者が介入して何かを強制できる種類のものでもない。
まずはカウンセラーを含めた当事者らの問題が基本であり最重要、優先課題だ。

立場によって言動が変わってしまうことになるが、私自身、他人が気軽に「治る」と言っていれば忠告や議論をしたくなるし、自分がクライアントを目の前にしていれば「大丈夫」と保証したくなる。
そんなダブルスタンダードはあってもいいのではないかと考えている。

2011-12-05 09:00

組織がうつリハビリ者に「完全に治ってからの復帰」を求めるのは行政の指導上も誤り

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うつのリハビリについて先日、質問、というか情報があった。
最近の企業等組織ではうつによる休暇や病休、休職の後の復帰・復職、つまりリハビリには、本人が休む前と同じように勤務できることを条件としているという。
しかもそれは厚生労働行政、あるいは労働安全衛生の権威からの指導を受けてのものだと。
結果として、カウンセラーなどが復帰やリハビリをサポートしようとしても、環境を調整することが難しいという意見があった。

うつで医療的に診断を受け業務を休んでから、復帰するのにはまず担当医の診断、つまり許可が出ることになる。
通常、その時点で本人はまだいわゆる「以前の」パフォーマンスを出せる状態ではない。
そこで、社会、職場という環境での慣らしやリハビリをしていくことになるのだが、上記のように企業等組織から「完全に治ってから」戻るようにという対応をされると事実上、当事者の行き場がなく、宙ぶらりんになる。
休むことに専念してきて、次の段階としては、徐々に日常の負荷の中に戻っていかなくてはいけないが、その場を自身や家庭、プライベートで用意することは難しい。

そのような現場が今どき実際にあり、それが行政などの指導を元にしているとはちょっと信じられなかったので調べてみた。

現時点の結論としては、たまたまその企業組織のリハビリに関しての考えや計画の解釈が誤っているのだと推測する。

今後も情報を取っていくが、このエントリでは最初に得た情報が生まれた経緯の推測だけ書いておく。

■厚生労働省「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」(平成21年改訂)を読む

厚生労働省は「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」というものを平成16年に出し、平成21年3月に改訂している。

厚生労働省:「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」の改訂について

www.mhlw.go.jp/bunya/roudoukijun/anzeneisei28/dl/01.pdf
(別添PDFへのリンク)

比較はしていないが、うつというものへの理解が進んだことと社会などからの要望として、リハビリ・復帰に関してより細かに記述されるようになっているのではないかと思う。

その内容のうち「6−(2)職場復帰可否の判断基準」の部分の解釈の違いが「以前と同じように働けるようになってから復帰してくれ」という判断や指示につながっているのかもしれない。
その部分を引用する。

 職場復帰可否について定型的な判断基準を示すことは困難であり、個々のケースに応じて総合的な判断を行わなければならない。労働者の業務遂行能力が職場復帰時には未だ病前のレベルまでは完全に改善していないことも考慮した上で、職場の受け入れ制度や態勢と組み合わせながら判断する。
 職場復帰判断基準の例として、労働者が職場復帰に対して十分な意欲を示し、通勤時間帯に一人で安全に通勤ができること、会社が設定している勤務日に勤務時間の就労が継続して可能であること、業務に必要な作業(読書、コンピュータ作業、軽度の運動等)をこなすことができること、作業等による疲労が翌日までに十分回復していること等の他、適切な睡眠覚醒リズムが整っていること、昼間の眠気がないこと、業務遂行に必要な注意力・集中力が回復していること等が挙げられよう。

- 「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き 」(平成21年3月改訂より)

1文めはしごく妥当なことが書いてある。
リハビリの判断基準に画一的なものはない、といううつやメンタルヘルスに携わる人間から見れば当たり前のこと、そして企業等の人事や労務担当も現場として理解し動くときの前提である。

しかし2文めをそれ単独で読んでしまうと、あたかも羅列した項目の内容が必須の条件のように見えてしまう危険がある。
「例として」と断ってはいるが、一つ一つはまさに「健康な時と同じレベルのパフォーマンス」が記されている。
これを復帰の条件としたならば、その「健康な時と同じレベルのパフォーマンス」を復帰の1日目から要求されることになる。
事実上、社会の中でのリハビリが不可能になる。
かと言って、現実にリハビリのための施設や仕組み、補償を社会や行政が用意しているということもない。
先に書いたように、それを個人が準備することもとても難しい。

2文めの意味として、「例」なのだし、「個々のケースに応じて総合的な判断」することを推奨しているのだから、「会社が設定している勤務日に勤務時間の就労が継続して可能であること」であれば、「会社と連絡をとり合って1日1〜2時間の勤務から開始する」でも良いだろう。
また、「昼間の眠気がないこと」というのは「眠気が直接業務に強くは影響しないような勤務環境を整える」ことで許容できるかもしれない。

文章を文脈に沿ってきちんと読み、解釈すればそういうことになる。
なにしろ先に書いてある内容のほうが主たるものであるのが文章のルールだ。
続く文は書いてあるとおり、例または例外についての記述と理解するのが適切だろう。

■まとめ

政府行政はうつ等のリハビリについて、企業等が当事者に「治ってから復帰するように」という対応や調整をすることを指導してはいない。

■付記

今後も関連情報に関心を持って集めていく。

2011-11-25 12:00

(関連URL 追記 2011-11-27 04:00)

安全衛生情報センター : 改訂版「心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き」の送付について

Return 改訂・心の健康問題により休業した労働者の職場復帰支援の手引き : 手引・冊子・パンフレット|事業者、上司・同僚の方へ|こころの耳:働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト(自殺対策を含む)(PDF)

うつ的思考やトラウマを打ち消すのに時間が必要なわけ

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おかげ様で下記Tweetに若干のFavとRetweetをいただいた。

相手に承認を与え行動を強化するためには結果を褒めるのではなく過程や行動そのものをタイミング良く認めることだ。
@neti2
小片武

元々は次のtumblogエントリを読んで、褒めることによる学習も失敗による学習も、人間の中に起こっていることは生理的にも心理的にも同じだろうと考えた。

六百デザインの「嘘六百」: 時折綴る「子供にゲームをさせよ論」のコト
(原典ブログエントリを追加 2011-11-21 20:00)

tsuka tumblr : http://ktsukago.tumblr.com/post/11969901900/tv

そう。
世の中の出来事に善悪や良い悪いなんていうものは実在しない。
それは単に人間や社会が勝手に創りだした価値観だ。
だから、ある国で正しいとされていることが別の国では罰せられる。
昔は良いことだと思われていたことが現代においては皆に否定されるということが起こる。

絶対的な正義はないし、完全なる悪もない。
それは人類の宗教やら思想やらの対立の歴史が演繹的には証明している。

注目したのはそこまで大きいテーマについてではなく、うつやトラウマなどに関連した、あるクライアントが持つ苦しい
記憶や学習を緩めたりなくしたりするにはどうすればいいのかということを論理的に考えて編み出すこと。
ネガティブな内容の学習のしくみについては以下のエントリに書いた。

うつが「誤った学習」をもたらす | deathhacks

ここからわかることの一つは、うつ的な思考やトラウマは「学習」の結果生じているものであること、学習に繰り返しや時間という要素があるからにはそれを打ち消すためにも繰り返し、そして同等の(まったく同じとは限らない)時間が必要だということだ。

2011-11-19 10:00

(関連URL)

「より速く適切に学べる人」:その理由 « WIRED.jp 世界最強の「テクノ」ジャーナリズム

(追記 2012-01-08 14:00)
(関連エントリ)

ゲームの適切な管理 | deathhacks

うつが「誤った学習」をもたらす

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今回のエントリでは、人がうつ状態に関するトラブルにおいて誤った因果関係を学習してしまうしくみを説明する。

ここで言う「誤った因果関係」とはどんなものだろうか。

例えば、ある人がうつ状態にあったとしよう。
うつ状態は、その本人から見た世の中の見え方や日常の出来事に対しての反応や感じ方を変えてしまう。
周りのすべてが敵に見えてしまったり、失敗や悪い出来事の原因と責任が自分にあるように思えてしまう。
しかもちょっとやそっとのことではその考えを修正できないし、助言や助けを求めることもできなくなる。

こういった状態で、仕事で失敗をすると、「仕事が自分にあっていない」「自分に能力がない」「自分には誰も協力してくれない」と思い込む。
それが続き、うつ状態がさらに悪くなれば、「自分には生きている価値がない」とまで思えるという「症状」が出てくる。
ここでの問題は、一つ一つの失敗やトラブルが落ち込みの本当の原因なのではなく、先に陥っていたうつ状態が根本となっている結果だということだ。
しかし、本人の認識は違う。
これが「誤った因果関係」の学習だ。

さて、ここでなぜ「学習」してしまうのかを考えてみよう。
そのためには学習が発生する条件を知る必要がある。

ヒトが学習するために大事なことは、ルールとタイミングだ。
ルールとは原因と結果の関係性のことだ。
目の前でコップを倒して水がこぼれたならばその原因と結果は明白だ。
逆に地球の裏側で交通事故が起きたとしても、それが自分のせいだと思う人は普通いないだろう。

もう一つのタイミングに関しては意識することはとても少ない。
しかし重要だ。
例えば、先ほどの例と同じくコップを倒したとして、もしもの話として水がこぼれるのが1時間後だったとしたら、それらを関係していると感じられるだろうか。
それが1日後だったら? 1週間後だったら?
関係性を認識することは難しくなるし、現実として同じ場所でそれを見ている確率も少なくなり、そもそもこぼれた水のことを知らないかもしれない。

実はうつ状態はルールの見え方も歪めてしまう。
うつは非常事態、ピンチのときの対応プログラムだから、なるべく時間のかからない、単純な思考を選択しやすくなる。
すると複雑な関係性を認識できなくなる。
コップの載ったテーブルに他の人がぶつかったのではないか、地震が起きたのではないか、ヒビが入っていたのではないか、というような別のアイデアを浮かべることが本能的に禁止されいるのだ。

こうして「自分の周りにはいつも不幸なことが起きる」「自分は誰とも仲良くなれない」「自分は努力をしても上達しないし結果を出せない」という学習が進む。
この誤った学習がうつ状態をより悪くするし、うつ状態はますます、元々ある疲労や落ち込みと一つ一つの出来事との関係を見えにくくする。

これが「誤った因果関係の学習」のしくみだ。
こうした状態がじわじわ数ヶ月から数年という期間にわたって続いたうつ状態から、誤った学習を解消するためには大きな生活の変化や医療、心理カウンセリングなどのきっかけが必要になることが多い。

2011-11-15 07:00

うつの人の日常は惨事である

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うつのクライアントについての説明やカウンセラーとしての対応を学んでいると「あれっ? これは惨事の話と同じになってないかな?」とか「ん? ごちゃまぜに混同してしまっている?!」という感じを受けることがある。

実はこれは当然のことなのだ。
うつの人はエネルギーの低下やその感じ方の激変状態によって「日常生活を送っていても毎日毎時毎分、惨事に遭っている」ようなものだからだ。

こうした状態への対処方法や、感じ方の理由を考えたり説明するときのベースは「うつ」と「惨事」であまり変わらなかったりする。
ただし、ベースが同じであっても時間スケールやそのときにクライアントが使える資源、現実問題としてできることとできないことなどは大きく違うことが多いから、その部分をプロとしてカスタマイズして提示したり説明したりすることがカウンセラーには求められる。

2011-10-13 16:00

(2011-10-13 21:00 追記)

"劇的な出来事が起きない平凡な日常こそがうつ病の最良の薬なのだ。" - ツレがうつになりまして。 http://t.co/QhJvwlFd
@neti2
小片武

日常はうつの薬でもある。
確かに。

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