次の変化・混乱・実践の時代でサバイバルするための準備運動

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神田昌典氏の「2022―これから10年、活躍できる人の条件」を読んだ。

2022―これから10年、活躍できる人の条件 (PHPビジネス新書)
神田 昌典
PHP研究所
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この本に書いてあるようなことに、そのまま賛成するにも、反論するにも、自分には現状難しいし時間がかかる。
だが、大局的に物事、時代や世界の流れを見つめ直してみるという行為は興味深い。

例えば、私の浅い知識と理解でみてもやはり、「時代」というものは似たような内容を大きな波として繰り返しているように思える。
その視点は二極論だが、「安定・情報統制」と「変化・既存のものが役に立たない実力と実践の世界」の二者だ。
静でなければ動、動でなければ静、という0か1かの考え方だから当たり前なのだが、この2つの性質を主にした時代が繰り返されている。

  • 原始時代、古代 → 生きるか死ぬか、生死が隣り合わせ、弱肉強食
  • 王家、公家の時代 → 根拠のない(それ自体が悪ではない)伝統的支配、階級の固定、集団・種としては繁栄
  • 戦国、戦乱、戦争の時代 → チャンスとリスク両者が豊富な世界、実力や実践が重視される
  • 工業・商業・政治の時代 → 生活・地位・国家間関係などが安定、全体として見れば豊かであるが変化やチャンスに乏しい、保守的・守備的

次には、どんな時代 or 世界が来るだろうか。

  • 2012年 〜 2022年 〜 → ?

それは、来るか来ないか、という話ではなく、いつ来るか、そのときに自分はどう行動しどう生きるかという思考を強制的に迫られる環境だ。
次の大災害についてと同じように。

2012-05-22 07:00

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またまたメンタルレスキューの認定資格イメージ私見

CPSからMR、さらにその上位の認定を受けるというのは、ブロックを積み上げていくというよりも

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土台の部分がより充実して、能力の幅も、技術の量も、下位の認定資格から比べて飛躍的に向上しているというようにイメージをしている。

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2012-05-12 09:00

(関連エントリ)

メンタルレスキュー協会の認定資格ヒエラルキー | deathhacks

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やるべきこと、やりたいこと、やれること

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前の職場に異動してあいさつをするときに「自分にとっての、《やるべきこと》と《やりたいこと》が一致して、さらにそれが《やれること》だったら嬉しい」ということをしゃべった。
見方によっては不遜なことを言っていたかもしれないが、そのときの自分の任務が割りに特殊であったり、独立的に進められる部分が多い業務だったりしたのでまあ許されるだろう。

読んでいた本の中に、似たようなこと、以前のこのあいさつエピソードを思い出させるような文章が偶々あったのだった。

そりゃあ、「やるべきこと=やりたいこと=やれること」という状態は理想的だろう。
しかし、「理想的=現実には無理」と考えてしまうのも悲しい、というか楽しくワクワクできない。

どうも、こうした「いかに生きていくべきか」というようなことを考えるといくつか決まって思いつく、思い至るものがある。

一つには村上春樹の「ノルウェイの森」に出てくる主人公の先輩「永沢さん」のセリフだ。
「やりたいことではなく、やるべきことをやるのが紳士だ」とかいうものだったと思う。

もう一つは、自分が自身に問いかける「今この瞬間に死んでしまうとして悔しかったり悔やんだりするだろうか?」という命題だ。
これはブログにも書いたことがある。

今死んでも大丈夫 | deathhacks

論理的に考えることは大事だが、今回書いたようなフィーリングとしか言いようのないものも同じくらい大切なものだと思っている。

2012-05-11 07:00

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会社と個人と結婚と

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会社と個人の関係は通常、契約だ。
だが、単なる法的な契約 contract としてだけではなく、エンゲージメント engagement というもう少し精神性、感情性が入った考え方もある。

エンゲージメントという言葉自体からは、どちらかと言えば「婚約」というイメージが先に浮かぶ。
しかし、元々「約束」とか「取り決め」、そのものそのままの「契約」という意味も含まれている。

言葉遊びになってしまうかもしれないが、なぜ会社や組織との関係は「結婚(婚姻) marriage」ではなく「婚約」と称される(もしくは同じ言葉が違うニュアンスで使われる)のだろうか。

そこには多くの国や文化、宗教で決められているように、「結婚は(原則として)一度きりで、死が二人を分かつまでは(!)解消してはいけない」というような縛りがあるのに関係するのかもしれない。

終身雇用制度の有無や良悪、維持の継続性・可能性に関わらず、法律上の人格であったりする人工の組織と個人が、「結婚」してそれを余程のことがなければどちらかの終末まで継続・維持することを半ば強制するようなことはやはり難しいのかもしれない。

漠然と印象先行で考えてみているがどう思われるだろうか?

2012-05-09 07:00

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自社製品にお金を払えるか

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製品にしてもサービスにしても、自分や自分が勤める組織がつくるものを、果たして自分でも市場と同じ金額やコストを払って利用しようと思えるだろうか。
これができないようだと、自己矛盾を抱えていることになる。

とは言ってみたものの、現実には複雑で難しい問題になる。

医者が病気になったときに、自分が勤務する病院にかかるか否か。
同僚に診てもらいたいと思えるかどうか。手術を安心してまかせられるかどうか。

マクドナルドなどの外食産業などの経営者や管理職であっても、毎食を自社商品で済ませるわけにもいくまい。
しかし、まったく食べていないということであったならば、消費者ら対外的にはどう映るだろう。

ビールやケータイキャリア、車メーカーなどのCMに出ているタレントが、競合他社の製品やサービスを愛用しているようなことがあってはイメージ的にもかなり具合が悪い。

日産自動車の社長兼CEOのカルロス・ゴーン氏が事故を起こしてしまったときに乗っていたのがフェラーリであったということがニュースとして物議を醸したこともあった。

理想は理想として、現実は現実・現場に則して扱うしかないようだという結論ではあまり面白くはないのだけども。

2012-04-23 08:00

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感情のメモリー

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感情というものはやはり何か目的があって存在すると思っている。
目的、というとそこに何か「神の意思」のようなものがあるようなイメージだが、それとは少し違う。
感情があることによって、生き物もしくは種として有利になる点、つまり意義があるのではないかという仮説思考だ。

感情の目的の一つは「記憶するため」だろう。

人間は、それが「大事だ」と思うことによって覚えやすくなる。
逆に言えば、大事だと感じなくては忘れてしまう。
興味のないことの勉強などで、無意味に思えていることは頭に入らないし残らない。
好きなことや好きな人のことであれば、意識しなくても記憶に残る。

この性質は、不幸なことや失敗、惨事や悲しいことなどであってもはたらく。
今度は忘れようとしても、いくら本人が忘れたくても、わすれられないという現象が発生する。
これがいわゆるトラウマ(トラウマティックな出来事)だ。

人間は、何かの理由があって、どうしても覚えたいこと、忘れてはいけないことを記憶にとどめるように努力や工夫を重ねてきた。
繰り返しや反復で暗記しようとするのは旧くからあった知恵だ。
これはある意味人間の無意識を騙して、「何度も目の前に存在している事柄だから、これは大事なことだぞ」と錯覚を起こさせているのではないかと思う。

そう。結局いまのところ、記憶というものはまだまだ解明されていない部分が大きい。
記憶を自由に操作、コントロールすることを人類はできていない。

記憶に残るかどうかは、無意識が決めていて、わずかに手を出すことしかできていないのが現状だ。
しかし、この「記憶」というものを解明していき、コントロールすらできるようになるとしたならば、「感情」がその入口や切り口の一つになるはずだ。

2012-04-20 07:00

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適材適所と適所適材と

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組織というものは、枠や部署、役職がまずあって、そこに人材を当てはめていくものだというイメージを持っていた。

しかし、まず人員がいて、それを活かせるような、ポストやチームを作ってもいいということに最近気づいた。

特に新しい、もしくはフレッシュであったり、劇的な成長を目指す組織であるならば。

2012-04-16 18:00

治療薬集やDSM-IVの最新版を買おう

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個人でも組織でも、自分が専門分野としてお金を取って業としているのだったら、その分野のレファレンスやマニュアルはきちんと更新して買っておきましょう。

医者が診療をするんだったら、治療薬集やDrugs In Japan、メンタルヘルス分野(で必要な職種)だったらDSM(IVなどの要するに最新のもの)がそれにあたる。

確かにこれらはどれだけ必要になる場面が多いかは人によって違うし、稼ぎからすると相対的に高価なものに思われるものもある。
版年度が変わったからといって、まったく使えなくなってしまうというものでもないから、経済的に考えて2、3年に一度買いかえればいいかなと思う人が多いのもなんとなくうなずける。

しかし、これらは大事な商売道具だろう

対価をとってプロの技術を提供する者が、こうした部分をカツカツと節約しようとしているのは残念に思える。

組織でも、常備してあるこうしたツールが堂々と数年前のものだったりすると情けなくなるし、クライアントに失礼なような気もするがいかがだろうか。

2012-04-12 07:00

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I CAN’T DEFINE MYSELF, TOO

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私がカウンセリングや心理、惨事反応などを学んだり、トレーニングしたりするのは、自分のため、自分をよりもっと知るためだ。

誰のためにメンタルヘルスの勉強をするのか | deathhacks

ただし、そう公言していても、やはりどこかに罪障感を持っている。
「困っている人を支援したい」とか「自分が助けられた経験があるので今度は別の方を助けたい」とか言っている人たちを目の前にするとなおさらだ。

しかし、持っている既読本をPDF化する作業の中で、國分康孝さんの本をパラパラとめくり返していたら、こうした自分のもやもやを解消できるかもしれないヒントをもらった。
(実は國分氏の本からは何回もこういった発見をしている。一度めに読んで感じなかったことを再読して感激したり。疑問に思っていたことを既に解決していて参考になったりなど)

國分氏が留学したときに、教授からその目的を聞かれた氏が、「 I can’t define myself 」と答えたそうだ。
「自分を定義できない(自分が何者かわからない)」とかいう感じだろうか。
その時点で、國分氏は、自分がカウンセラーなのか臨床家なのか、研究者なのか教育者なのかなど、立ち位置に迷いのようなものがあったらしい。
留学の中で、その一点だけでもクリアになれば幸いだろうと考えていた。
この目標、目的はシンプルだが、重要で、壮大なものだったと思える。

自分なんかがこのエピソードになぞらえるのは不遜かもしれないが、今の自分にもこの「自分がわからない。だから知りたい」という感覚がずっとあり、だからこそ今の生活や活動がある。

2012-04-02 08:00

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良い人材を入れ、その人材を起点にして組織が成長していく

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「良い」人材というのは基準があいまいだが、とにかく素晴らしい能力やカリスマ性、ガッツやパッションを持っている人というイメージで。

スター選手ばかりを揃えても弱いスポーツチームというのは存在するわけだが、それは別に個々の能力が高すぎることがただ一つの失敗理由ではないはずだ。

人材を部品として組織に取り込むのではなく。

そうした場合、「組織に合わないから」「会社で与えられる仕事がないから」ということで去っていく人間はいなくなる。

EC Studio はそんな感じの方針みたい。

日本でいちばん社員満足度が高い会社の非常識な働き方

2012-03-23 08:00

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