iPhoneで使うカレンダーアプリはWeek Calendar一択

2011年5月から使っている。
このアプリがあるからiPhoneのみで予定管理ができている。
もちろん同期させているGoogleカレンダーの存在が前提だが。
iPhoneの純正カレンダーアプリでは週間表示をするのにランドスケープモードにしなくてはいけない。
1週間を24時間フルの時間枠で見渡すことができるのは貴重だ。
検索で過去数年分のログが確認できる。
設定の詳細までを極めようとすると大変だが、予定を確認するという一点においてシンプルで見やすいというアプリはいくらでもありそうでなかなかない。

2014-02-19 21:00

色々余計なことをし切ってからでないと大事な仕事に入れない

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試験勉強をしなくてはいけない状況なのに部屋や机の片づけ整理をしたくなってしまう気持ちのよう。

でもそれは限られたアテンションを有効に使うためには必要な儀式なんだ。

この問題を解決するために必要なのは、精神力を鍛えて嫌な仕事にすばやく立ち向かうことでも、逃げてしまう自分を嫌いになることでもなく、無駄にぜいたくに時間を使って、アテンションを奪う事象をまず処理してしまうことだ。

2013-07-23 08:00

面接中に気付けないことに、なぜ面接後には気付くことができるのか?

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上司でも同僚でも、他人と会話したり、業務上の話をしたりしているとき、その会話中では大事なポイントに気が付かないで、うまく即答できなかったり、問題点を指摘したり、巧みな言い返しができなかったりすることが続いた。
特に問題点の指摘なんかは、その場が終わってしまうと、あらためて声をかけて話を蒸し返したり、一旦決まったようなことを覆したりすることは難しい。
ビジネス案件だったらなおさらだ。
相手の時間も使うし自分のエネルギーも消費する。
なにより面倒くさい。

プールで話しかけられた時もそうだった。
相手の理屈で理不尽な提案をされ、理由がわからなくなる。
うまくリアクションができなかったりした。
アドリブは真剣勝負で一発勝負だから本当に難しい。
まだまだ自分の理想とするところの「常在戦場」ポジションには到達できないでいる。

面接やコミュニケーション中に、ナイスタイミングできづきが得られず、その場面が終わった後で「さっきこう言えば良かった!」とか「あのときなんでこれを思いつかなかったんんだろう…」とかいう事態になってしまう理由は何だろうか。
それは単に、目の前に人間がいて、相互の関係性から来る緊張でうまく頭が回っていないのかもしれないし、タイミングよくポンポンとやり取りをすることにエネルギーや集中力を取られてしまっているのかもしれない。
だがその違いはリラックス状態の有無だけに依るものだろうかと考え始めている。

例えば今度は逆の場面・状態を考えてみる。
精神分析の自由連想法を行っているとして、その場にいるセラピストは本当に必要なのかという疑念がよく聞かれる。
カウチ法ではセラピストがクライアントの背後に居るわけだが、眼に写っていない人間がそこに居ることにどこまで意味があるのか。
しかし、確かに、たった一人で同じようなことをしようとして、壁に向かって座り、セルフで自由連想をしようとしてもなかなか続けられるものでもない。
10分も続けられないのだと言う。
自由連想法について言えば、相手がいないと発想が出現するという力動が生じないらしい。

この2つの場面、思考を回したり、発想を生み出したりするために、目の前や近くに相手が居たほうが良いのか、あるいはそうすることが妨げになるのか。
どちらかが正解で適切というわけではないらしい、こうした知的作業において、他にどのような考察が可能で、どんな要素が含まれていて、どういったコントロールが可能なのか。
それこそ精神分析的にでも、一人での思考研究でも、他人とのディスカッションを通してでも、少し考察していきたい。

2013-06-21 07:00

教えようとして学ぶ

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「教えてほしいです」というようなきっかけがあると生半可なことはできないから自動的に自分がその時点で持っている知識などを体系化したくなる。
しっかりと体系化してうまく俯瞰することができないとプレゼンテーションできないからだ。

ただし、そのテーマを他人に伝えるというモチベーションが既に高いこと、実際のところ体系化してまとめるコストが十分に低いか時間をかけることができる状況があることなどの条件も必要になる。

命令やビジネスだけでは簡単には動かないし動けない。
少なくとも僕はそうだ。

2013-03-05 08:00

日常での挑戦と調整

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限定的に1時間ほど、朝の活動開始時間を早めてみている。

限定的、というのはある特定の仕事が入っている日だけ早くカフェに入るという感じ。

週に2回ほど。

確かに使える時間は増えるのだが、眠気や前日の疲れを引きずってしまい、身体も頭脳もパフォーマンスが上がらない感触。

いろいろな要素が絡んでいるはずなので、単純にうまくいっていないというのでもないが。

いったんは試みてみないと検証はできない。

挑戦と調整は常に必要だ。

2012-10-23 07:00

小さな用事を先送りにしない

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佐々木俊尚氏も著書で書いているが、人間のアテンションは有限な資源だ。
ちょっとした、気になることを残しておくよりも、ドンドン片付けてしまおう。

今朝は1件の振込をコンビニで行きがけに済ませた。

小さいことと馬鹿にするなかれ。
細かな仕事をまとめてやってしまっておけば、まとまった時間が取れるかもしれない。
あくまで可能性だが。
邪魔になる割り込み仕事が少なくなる。

同じように何か迷ったら、すぐにやってしまうことだ。
迷っている時間がもったいないし、それが楽しいとかいう趣味の話でなければ、とにかくやってしまってから、検証でも後悔でも反省でもして次に活かそうとすれば良い。

2012-10-16 08:00

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ふりかえりだけでは後手後手になる

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セミナーを開催したときも、危機介入活動をしたときも、仲間内では必ず「ふりかえり」をするようにしている。
「ふりかえり」とは要するに反省会だ。

反省会とは言っても、ミスや改善点を指摘しあったりするだけではなく、良かった点やうまくできた強みの部分を確認し合うなどして今後の活動に向けてのモチベーションを高めるという目的も持っている。
そして、その対象は複数人のチームとしてのものと各個人ごとのもの、両方について皆で行う。

キチンとした組織や会社などであれば、こういった改善・検証のシステムはかっちりと決まっているのではないかと思う。
しかし、営利を最優先目標にしていない活動や、私的な集まり、色々な背景を持つ者が一時的に集まってチームスタッフになるような場合には、時間や場所の制約があったりなどして、この当たり前のような機会が持てないことも多い。

ふりかえりをすることの効用については、科学的ではないものの、疑うところはない。良いシステムだと思っている。
けれども、それさえやっていれば心配なく成長していくことができるとか、間違いが減るというものでもない。
ふりかえりシステムにも弱点や不得意なテーマというものがある。

なにかしらの活動を終えてから、ふりかえりをするとして、まず先ほども書いたように、時間が少ないという問題がある。
キッチリと時間を取ることを予定に入れていたとしても、本編である活動が長引いてズレこむこともある。
時間と併せて、スタッフだけで落ち着いて静かに話しあう場所が確保できないかもしれない。

また、順番として最後時間の活動であるから、スタッフが疲れている(はず)という条件もある。
個人の都合で、早いタイミングでもう離脱をしていて、ふりかえりに参加できない人間も出てくることがありうる。

こうした制約を考えてみると、ふりかえりの特徴としてはその中で新しいアイデアやチャレンジが生まれにくいというものがあるのではないかと思っている。
もちろん、良い考えや発想がまったく浮かばないとまでは言えない。
しかし、そういうものが出てきたとしても、協力して深めたり、具体化したり、計画を立てたり、流れを作ってスタートさせたりするまでの段階に到達しにくい。
参加者は時間が少なく、疲労しているからだ。

一つの傾向として、会議などで新しいアイデアが出る条件としては、「インプットが十分にされ時間をかけて考えぬいた」「疲れていない、あるいは心身ともに休めた直後というタイミング」などがある。
しかし、ふりかえりではこれらの条件を満たしにくい。

ふりかえりは、イベント終了後、緊張をほぐして、チームスタッフ間のコミュニケーションを確認して深めたり、各個人の頭と身体の両方のケアを互いにしたりするのには最適の方法の一つだろう。
だが、その場で出たアイデアや新しいテーマ、改善点などをそれぞれが持ち帰っても別々に活用したり、スキルアップの素材にすることはできるだろうが、組織的かつある程度の期間にわたって活動の母体を改善したり変化させていくのにはそれほど向いていないのかもしれない。

変革のためには、その目的を、「ふりかえり」という過去に向いた反省などではなく、未来に視点を向け絞った話し合いや発想の場がないといけない。

2012-01-08 11:00

思考・思索・アイデア・想起を外部化することの意義を考える

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タスクは書きだして外部化すると良いとはよく言われる。
その作業によって対象について、客観的に思考できるというような説明がされる。

悩みや漠然としたアイデアも同じで、頭の中に入れているだけでは煮詰まってしまったり、良い変化があっても忘れてしまったりする。

しかし、理論的には頭の中ですべてを処理してしまうことは不可能ではない。
莫大な記憶力、そして内容を整理して、自由自在に出し入れする機能があれば、だが。
また、人間の脳の処理能力に限界があるとして、記憶や整理にそのエネルギーを向けた場合に、新しくインプットしたり、ひらめいたりする機能にどのくらいの影響があるかは定かではない。
一般には、物事を記憶することに神経を使いすぎると他のことができなくなる。

頭の中だけで済ませようとしていると、アイデアであれば煮詰まる、つまり固定化してしまうことがある一方で、変化もする。
しかし、それを観測している人自体が動的に変化し続けているから、見ているものが本当に固定化しているのか、それとも変化しているのかは証明できない。
だから外部化、アウトプットする。
その動機が客観的に考えたいからなのか、脳のリソースを有効に使うためなのか、自分という不安定な視点という呪縛から外れるためなのかは目的であり結果でもある。

また、外部化は自己の影響から離れることで、変化しない(ように見える)という性質を持つとともに、他者から見たり他者から影響や変化を受けることができるようにもなる。
これは複数人で実行するプロジェクトや仕事、アイデア出しのブレインストーミングのようなものだ。

2011-11-28 09:00

まず、やりすぎてから修正するのが良い

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過ぎたるは及ばざるごとがごとし、なんて嘘だ。

カウンセリングのリアクションやメッセージ、アドバイスなどは無難な線に落ち着きがちだ。
誰しも失敗が怖いから。

責任の大きさはあまり関係ない。
人は、小さな失敗をしないために、大きな成功の可能性を避ける。

こう言っている自分自体、現場で他人を見ていると、やり過ぎを批判的に評価してしまうことが多い。
この傾向、マインドセットを理性や思い込み、自己暗示の力で変え、常に意識しなくてはいけない。

2011-11-22 08:00

引用はキチンとする

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引用の作法を守らなくては、逆の立場になったときに同じような不作法を受けた時に、異議を唱えにくくなる。
他人のノウハウを適当にパクったり紹介したりしていると因果応報の出来事が起きても文句は言えない。

秘密を守るというようなルールも、一見すると相手のための行為のように思えるが、利益も不利益も結局自分に返ってくる。
秘密を守らない人が信用されるだろうか?
秘密を守らない人が「これは秘密にしてね」と頼んだとして、その頼まれた相手はホントの本気で秘密を守る気になれるだろうか?

こういったモラルに関わることは、多分に感情的なものやフィーリングでしか語れない。
二つの立場同士の関係性が大事になってくる。
もしも自分の存在や発言が尊重されていないと感じたのならば、きっと自分がまず相手を尊重していないのだ。

すべての作法を完璧に守ることは難しいけれども、常に色々な角度から考えてみなくてはいけない。

2011-10-10 09:00