週刊少年ジャンプの「友情・努力・勝利」は、もっとも美しいコンセプトだ

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週刊少年ジャンプのコンセプトは「友情・努力・勝利」だということはよく知られている。
単純だが支持を得られるものだ。

多少なりとひねくれたり、大人っぽいテーマや内容の漫画になると、ダークヒーローだったり、犯罪だったり、ナンセンスやシュールなギャグだったりが入ってくるが、どうしても王道にはなりにくい。
マニアックな密かな人気作ということになる。

このコンセプトは時間軸を含んでいるというのも素晴らしい。
「友情」は初期状態、「努力」は途中過程、「勝利」は結果を表している。

また、この3つはその種類というか属性も異なっている。
「友情」は設定された条件、「努力」はアクション、「勝利」は(同じく)結果となっている。

要素を3つ揃えるというのは、企画でもプレゼンでも文章や話でも、多用されるし奨められる構成方法だ。
無理やりに数だけを満たすことは比較的簡単だ。
しかし、少年ジャンプのコンセプトのようにその3要素それぞれの性質や相互のバランスの取れた美しいものはなかなかない。

2012-11-14 08:00

例えばメンタルヘルスにおける実力のあるなし判定法

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教育をしたり、やらせたりしてみれば、その人に本当の実力があるかがはっきりわかる。

ただし、これは定性的な方法なので細かな分析はまた別になる。

うまく教育や説明ができないからといって、知識が少ないのか、理解が浅いのか、表現力が乏しいのかまでは未知だ。

人間黙っていれば、何か深く考えているように見えたり、すごくよく物事を理解しているように見えたりすることもある。

2012-09-08 18:00

声にアジャストするのに時間がかかる人がいる

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まとめて色々な講演・講義を聞いていると、それらの比較の上で発見がある。

内容はさておき、発声の聞きやすさについては、差があるように思えて実はそれほどない。
始まりの時には「どうも滑舌がはっきりしないようだ」とか「ちょっと早口だなぁ」とか感じるときもあるのだが、話が進むにつれ、中盤から後半に至るにつれ、気にならなくなることがほとんどだ。

これは、もちろん聞き手の興味やモチベーション、それでなくても体調や環境(椅子や温度や機材関連など)に依るところが多いのかもしれない。
しかし、おそらく無意識のうちに聞き手側が自分の「耳」を調整して、なんとか聞き取ってしまうというのが実際のところなのだろう。

逆にこれを、話し手になったときとして考えると、時間はかかるが、たいてい聴衆は相当な余裕を持って合わせてくれるのだが、それに甘んじることなく、最小限の労力、最短時間で内容に集中できるようにするべきではあるのだろう。

2012-08-03 07:00

AKB48でスピーチのお勉強

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AKB48総選挙(2012-06-06 イベント)は人前で話すことのコツについて考える良いネタになった。

順位が決まると壇上で一人ひとりに喜びを(あるいは悔しさを)表現するチャンスが与えられる。
ショウビズとしての評価やあれこれはさて置き、これだけ注目された状況で、これほど多くの者がメッセージを語る機会というのはそうはない。

日本のアカデミー賞ならけっこう近いかと思うが実際注目度は劣る。
紅白歌合戦はいまだ最大級の注目が集まるが、基本的には歌唱というパフォーマンスしか行うことはできない。

AKB48の壇上スピーチでは、なんとか目立とう、感謝しよう、「自分らしさ」をアピールしようと皆必死だ。
研修や講演と一緒で、一方通行のコミュニケーションはあまり好ましくない。
この辺は多くのパフォーマンスでは(日頃から?)心得ているようで、しゃべりの間を置いて、ファンからの声援を待ったり、拍手を受けるタイミングを用意したりしている。

しかし、うまく観衆のリアクションがハマる者もいるし、妙な間や空気を醸し出してしまう者もいた。
もちろんテレビ中継もされるし、それこそショウ「ビジネス」だから、壊滅的な雰囲気になったりはしない。

よく考えれば、彼女らはいわゆるテレビタレントとしてだけでなく、いわゆる「劇場」でファンや観衆との生のやり取りを鍛練しているそうだ。

AKB48のように現場を踏む | deathhacks

だが、そういう訓練や背景を持っているにしても、さすがに個々の経験や能力・技術には差があるから、こうしたイベントでは前述したような不具合も出てくる。
そうした「失敗」というか「改善点」を見ることができるのも良い機会だと思える。

そうした「未熟性」や「成長する余地」をショウやビジネスとして提供しているというのがAKB48グループのそもそものコンセプトの一つであることは今更の話なわけだけれども。

2012-06-07 16:00

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iPhone+iPadを書画カメラの代わりにする

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研修で、参加者が議論した内容を紙に書いてもらったものや、指導者の手元の資料をサッとプロジェクターに映したいと考えることがある。
今の時代、前もって準備しておいたファイルを使うのは普及して簡単になったが、もう少し小回りを効かせたい。

機材としては以下のようなじ実物投影機というものを使えばいい。

エルモソリューション販売株式会社

なかなか値が張ったり、準備が大仰で費用対効果が難しいと思い、まだ導入したことはない。

代わりに次のようなものを買ってあり、機会があれば使ってみたいのだが。

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しかし、最近になって、もうなんでもiPhoneやiPadとその多彩なアプリで、やりたいことが可能になってきている。
デジカメやビデオカメラを置き換えるのはもちろん、PCやスキャナーの代わりになってくれる。

そのものズバリ、書画カメラになってくれるアプリもあるのだが、細かい部分で使い勝手がビジネスユースレベルでなかったり、安定していなかったりする。

ただ、よく考えてみたら、iPadをプロジェクターかHDMI経由でディスプレイにつなぎ、iPhoneでA4ペーパーなどの写真を撮れば、iCloud経由で数十秒のタイムラグはあるものの、ワイヤレスで手軽に連携し、目的は達することができることに気づいた。

こうしたトレーニング手法は今までならば、OHP資料化したり、インストラクターがホワイトボードなどに板書して、可視化と共有をするのがせいぜいだった。

この方向のチャレンジは工夫をしていきたい。

書画カメラの活用を奨めていたのは、確か数年前に雑誌で読んだ山田ズーニー氏の記事だったと思う。

2012-05-04 07:00

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研修・セミナーにグループディスカッションを取り入れる

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研修などの構成に、インタラクティブな要素、例えば参加者間で少人数のグループを作り、テーマを与えて議論してもらったりロールプレイをしてもらったりすることがある。
以前は、そうした手法について、「まあ講義や講演を聞いているだけだと皆飽きてしまうよなー」とか「でもグループの中で収拾がつかなくなってコントロールが効かなくなったら怖いな…」とかいう感じを持っていた。
しかし、今では1時間に満たない、ごく短時間の場でない限り、積極的に取り入れるべき、あるいは必須のやり方だと思えるようになった。

グループディスカッションやロールプレイ(実習)を用いる理由には3つある。

  1. 参加者の思考や参加者間のコミュニケーションが活性化する
  2. 参加者の発言欲、表現欲が満たされ、次につながる
  3. 参加者がいる現場についてヒアリングすることができる

余程のオーラがある人や、カリスマ的人気の演者でもなければ、ただその話を聞いているだけの進行には時間が長くなるほど無理が出てくる。
逆に短時間だったらば、良い時間で有意義だったのに、と思うことも多い。
映画でも、「いくつかのシーンを編集でシェイプアップすればもっと素晴らしく感じたのに!」ということはよくある。

百聞は一見に如かずだ。
話として聞いたことを、あらためて自分の言葉で語り直してみたり、場面を再現してみることで内容の理解や実感、テーマへの興味は確実に高まる。
話すことやプレゼンテーションの演出などを工夫するよりも簡単で費用対効果も大きい。

また、人間誰でも、他人の話を聞いていれば「アレッ。その点は自分の意見ではちょっと違うな…」とか「んっ? この場合にはどう考えれば良いのだろう?」とかいった思念が浮かんでくるものだ。
一方的な講演や訓示などでは、そうした思考は封殺されてしまう。
だが、そうしてしまうのはもったいない。
それを一般的な質疑応答だけにせず、研修のメインに持ってくる。
より参加した感が高くなり、研修が終わった後にも、テーマについて考え続けてもらえる。

最後の理由として、演者側の利点は、参加者の生の意見が聞けるということだ。
どんなに主催者と事前の打ち合わせをして、準備をしても、研修で目の前にいる人らの背景やニーズは正に水ものだ。
その場で臨機応変に、リアルタイムに内容やテーマを変化させなくてはいけない。
それでなくては、リアルタイムに、リアルな場で研修をする意味がなくなる。
ただ単に知識を教えたいというだけなら、本や資料を作って渡して読んでもらう方がお互いに効率がいいはずだ。

こうしたヒアリングは、その研修が同じ集団で連続する場合でも、異なる人たちに対してやっていく場合であっても、その質を高めていく材料になる。
演者側の利点とは書いたが、直接に参加者のプラスにつながるわけだ。

このようにディスカッションや実習をすることには、最初は怖さや予測のつかない不安を感じるだろう。
しかし、コミュニケーションやカウンセリングと同じく、人対人の活動には対話が有効だ。
すべてを演者自らが準備して場に供給する必要はないし、効果的でもない。
テーマへのより適切な答えは、参加者ら自身、またはその場皆が持っていて見つけ出していくものと考えてよう。

2012-05-01 07:00

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あれはファシリテーションではなかった

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あるグループワークでの板書役を仰せつかった。

ワークやディスカッション、まとめ自体はうまく進行した。

筆記者としては要領良く役目を果たせた気がした。

しかし後からよく考えてみると、自分がやったことは、身につけておきたいと思っている「ファシリテーション」の技術とはまた違ったものだった。

ファシリテーターは、自身の考えをボードに書きはしない。
発言内容をアレンジしても構わないが、そのアレンジが適切で腹落ちするかを、発言者によくよく確認しなくてはいけない。

今回は自分も参加者と変わらずに振舞ってもまったく問題のない場面だったが、周りが結果やそこまでの流れを納得・了解していても、私は油断してはいけない。

うまく仕切れて、感謝されさえしたように見えても、実際はどうだっただろうか。
もう1回頼むよとか、いつもよろしくと言われるようなファシリテーターには程遠い。

参加者にしてみれば、誰も出していない内容がどんどん書かれていく、自分の言ったことと違うニュアンスが記され、解釈・進行されていく違和感を感じる。
そんな状況と雰囲気になっていなかったか。

こうした突発的、日常的な場面でも、そのひとつ一つで、場の目的、自分の役割・立ち位置、実行動などを、すべて意識してコントロールしフィードバックをしたり受けたりしなくては成長できない。

他人からの評価と自己評価は、一概に、一致するべきものでもなければ、常に異なるものでもない。
独立してどちらも尊重しなくてはいけない。

2012-03-19 07:00

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ガー・レイノルズの「裸のプレゼンター」を読みながら自分のプレゼンを振り返る – その6

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私がプレゼンで心がけることの一つは、「自分が今持っているもので勝負する」ということだ。
これはそのまま「裸のプレゼンター」のありのままの自分を表現する(p.13)に通じる。
無理に自分の知らないことを話そうとしないこと。
借り物の内容を如何にも自分のことのように語らないこと。

このブログでも同じように考えている。
原則として、調べながら書くことはしない。
引用などを除いて、すべて、今この自分の中にあるものだけを使って表現するつもりでいる。

背伸びや「ええかっこしい」を否定はしないけれども、それは不誠実につながるような気がしてしまう。
失敗したときに余計にカッコ悪いように思う。
結局自分のためでもある。

こういったことを考えるようにしてからは、日常でしゃべるにしても、自分を語る時でも、実践でフィードバックやコメント、アドバイスをするにしても自分が落ち着いているのを感じる。
ある種の覚悟ができている。
それが、次の状況にも対応できるだけの力量に達しているかはわからない。
でもそれはそれでしかたない。

自分が自信を持って語れる内容だけを選ぶのは勇気がいる。
準備した、たったそれだけの内容で足りるだろうか。
聴衆は満足できないで欠伸をするのではないか。
がっかりして、ときには怒りを覚えるのではないか。
だがそこは勝負だ。

私がプレゼンするのであれば、スライドは添え物あるいは背景だ。
スライドとまったく違うことを話すようなトリッキーなことはしないけれども、1枚のスライドに対して関連した事例を話し、理論を説明する。
噛み砕いて、そこで認識してほしいことを一括りにできるような喩えを提示して反応を見、意見や質問をもらう。
そんなライブをしたいと思い、している。

スリルもある、チャレンジングなプレゼンの方が落ち着く気がしている。

言うは易く行なうは難しだが、ガー氏いわく

自分を信じなければ始まらない

(中略)「裸のアプローチ」をコミュニケーションやプレゼンテーションに持ち込み、ありのままに自分の姿をさらしたとたんに、話し手はさまざまなリスクを背負うことになる。時には失敗することもあるだろう。しかし、話し手は自分自身とそのアプローチを信じなければならない。信念を持てば必ず成功できるというわけではない。しかし、あらゆる成功の裏には、必ず信念が存在している。

– 裸のプレゼンター、ガー・レイノルズ、ピアソン桐原、2011、p.192

※この「その6」でいったん「裸のプレゼンター」とプレゼンについてのエントリは一区切りにする

2011-08-15 10:00

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ガー・レイノルズの「裸のプレゼンター」を読みながら自分のプレゼンを振り返る – その5

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今回私が自殺予防についてプレゼンした(ガー・レイノルズの「裸のプレゼンター」を読みながら自分のプレゼンを振り返る – その1 | deathhacks)ときの準備として、特に気にしていたことがいくつかある。

そのうちの一つは「項目をシンプルにする」ということだ。
私が実際にしたことは「内容を3つのパートに分け、配るレジメにはっきりと示すのと、プレゼンの最初に強調する」ということだった。
1つのパートが終わるごとにそのパートで述べたことや意味などを小括することもした。

プレゼン全体の感触や、終わった直後の振り返りとしては、まあこれらの試みはそこそこうまくいったように感じていた。
しかし、約1ヶ月経って、あらためて思い返してみると、試みた工夫が本当に聴衆に届いていたかどうかは心もとない。
まだまだやれる工夫はあった!
もっとまとめや繰り返しを強調しても良かった!

その実際の評価はアンケートの集計結果から読み取るしかもうないが、聴衆に直接に聞くことができれば一番良かっただろう。

聴衆はプレゼンをするあなたと同じ景色を観ているとは限らない。
ましてやあなたの前に数十人以上の聴衆がいるのならば、可能なかぎりイメージを共有することに対する脱落者が出ないよう、まめにかつ少しくどいくらいに認識の位置や次に進む話題の方向などを示してあげる必要がある。

以下、関係箇所を引用する。

キーポイントを要約する

 我々が学校で習ったスピーチの手順は、(1)これから何を話すつもりか聴衆に告げる(2)スピーチを行う(3)自分が何を話したか彼らに告げる、というものだった。この公式は一見すると陳腐に思われるかもしれない。とはいえ、スピーチを振り返り、総括を行うことには大きな意味がある。反復は学習の重要な一部であり、キーポイントを手短に要約することは有益である―(以下略)

– 裸のプレゼンター、ガー・レイノルズ、ピアソン桐原、2011、p.168

また、これと同じく、まず最初に聴衆に話すことを予告をする(青写真を見せる)ということの重要さについてのこんなエントリもあった。

1.「○○な話なんですけど」という出だしで話をセットアップする

 「めっちゃ、驚いた話なんですけど…」
 「そこまで気を使わんでエエよって思った話なんですけど…」
 よく木村祐一さんやほっしゃんさんが、こんな出だしで話しはじめるのを聞いたことがないでしょうか。出だしでは、オチの出来事の感情だけを切り取って、「○○な話」と先に話してしまうのがポイントです。

「すべらない話」の作り方・話し方の5つのコツ : earth in us.

2011-08-14 08:00

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