相手が年末年始をどう過ごすのかをなぜ質問するのか

20121227151618

この時期(2012年12月下旬)「年末はどうするんですか?」という質問をよく耳にするし、尋ねられる。

単純に他人の動きに興味がある。
自分の過ごし方を話すための枕として。
帰省することの楽しさや困難さなどを共有したいという心理から。
あるいは、まったく社交辞令として。

どうして聞くのかとか、どう答えるのかとか、そのあとの会話の展開なんか考えると、興味深く、緊張する。

2012-12-30 12:00

単発の悩み相談でうまくいかない

20121228193953

クライアントは単回話を聞いてもらうことですっきりする。

普段は困っていないから相談資源のことは思い出さない。

ピンチになったらハッと便利なサービス・資源を思い出して利用する。

全体として、長期的に見て、良いか悪いかは別にして、ある一定の安定性でこうした行動がクライアントの習慣形成を引き起こす。
うまく利用できていると言えばそうとも言える。
判断は難しいし考える人の価値観にも依る。

(2013-01-29 エントリ末尾を微修正した)

2012-12-29 13:00

飲みニケーションなんて流行らない

20121226080952

だが、危機的状況や生命がかかるような場面では、システムになんか頼れない。

頼れるのは「人間」だ。
システムだろうが、技術だろうが、使用・運用するのは結局人間だからだ。

現場がうまくいくかというのは、相手(人間)に対して信頼「感」を持てるかどうかで決まる。

そのの部分には、できるだけ長い時間一緒に過ごしたこと、仕事と関係のない雑談をどれだけしてきたか、相手のプライベートや性質をどれほど知っているか、同じ釜の飯を食ったかなどが反映される。

特にクライシスへの対応やCISMにおいては、過去の蓄積の上に発揮されるチームとしてのシンクロ率が重要、というかそもそもの基本要素としてもいいくらいのものになる。

2012-12-27 06:00

今どき学びたいタイミングで学べないなんて

20121225123035

何かを学びたくなったときに、大学なんかだと通常年度ごとの募集とカリキュラムだから、どうしてもモチベーションとのタイムラグが生じる。
さらに言えば、応募や受験の時期はさらに3ヶ月や半年前だから1年近く待たされることにもなる。
もちろん受験して選抜されるのだから、そのための準備期間は多かれ少なかれ必要ではあるのだろうが。

だが、現代のスピード感で考えるとちょっとこうしたタイミングのズレ・ラグがあるのはちょっともったいないように思う。

カリキュラムなどにしてもそうだ。
1年や3年、あるいは4年という区切りが定型として決まっていれば、ライフサイクルの中でなかなかマッチさせたり捻出したりが難しい人もいる。
現実問題としての家族状況や財政的な制約によってあきらめざるを得ない人、端からチャレンジのアイデアが浮かばなくなる人もいるだろう。

技術系のものであれば、どうせOJTが必須であるから、認定試験のみを定めれば良い。
事前の必須学習などは要らないだろう。
ある一定の能力や知識をチェックして、それを満たせば certification を与えるという仕組みだ。
学歴や年齢などの制限も原則不要だろう。

医学部をでなくては医師国家試験を受けられないとか、法科大学のカリキュラムを修了しなければ(?)司法試験が受けられないとかは無駄に思う。
必要だと思われる職務像をまず考え上げて、それを確認するための試験を作り上げる。
それを満たせば、どんなに奇妙な学習方法や経過をたどっていても合格だ。
明らかなチートを除外する工夫は要るのかもしれないが。

ただ、入学時期の違いや学習進度のズレがあまりに大きいと集団での学習というメリットが損なわれる。
場所やティーチングなどの資源を有効に配分することができないとコストが上がる。
結局学習効率、学びのインパクトが得られなくなる。

既存の資格試験や高等教育、大学教育がまったくダメで無駄でスピード感がないというわけでもない。
Web上の情報や現実世界でのリアルな学びが至上だというのでもなく実際は玉石混交だ。
個人のレベルでは常に変化とチャレンジの数量を増やすことに尽きる。

2012-12-26 07:00

自由=幸せ、ではないことを理解してないとやっかいだ

20121222162936

自由というのは辛いものだ。
一から十まで自分で判断して選んで行動するというのはすごく大変で時間もエネルギーも食う。
そして当然、その結果、全責任を取り、反省したりする必要もある。

仕事にしても、食事で何をどのレストランで食べるにしても、恋愛でも結婚でも、どこへ行って何をして遊ぶにしても、完全に自由だと言われたらかえって決められなくなる。
自由度が高すぎるRPG(ロールプレイングゲーム)はマニア受けはするがマスには受け入れられないことが多く、それと同じだ。

適度な制約があった方が人間は気持ちも身体も人生も楽になれる。
不自由を嘆きながらも、不自由に感謝しつつ、その中での工夫をしていくのが良い。

2012-12-25 08:00

理想を追求して最大限トレーニングしておくべきか

20121223173214

実際の現場で使う状況が得られないのであればいくら練習しておいてもコストパフォーマンスが悪くなる。

「もしも」の1回のために備えておくのがプロフェッショナルというものかもしれないが、現代のスピード感においてはアジャイルに扱って余計なことはしないミニマムデザインが主流だし。

2012-12-24 09:00

困難に向かう性質

20121222150859

疲れるのにわざわざ出かける。
回復するとまた行きたくなる。

しんどい思いをすることを選び、わざわざ他人にお願いして、自分自身に負荷をかけることをよしとする。
自分一人では自分を管理したり、成長・超回復するための修行が積めないから。

これは性質・正確なのだろうが、どんな人間でも持っているものでもある。

2012-12-23 11:00

他人の本を借りて15分で読む方法

20121219214747

速読というわけではないのだが、1冊の本を速くに読み倒すことがある。
ビジネス書の単行本で、15分とか、せいぜい30分とかで。

仕事場で同僚と話していて、ふと相手が机に置いていた本、読みかけの本なんかで興味がわいたならば、ちょっと手にとって少しの間貸してもらう。
そして、集中して読む。
すると、締切効果もあって、内容の把握とポイントやエッセンスの取得には成功する。
そんなに長く借りてしまうわけにはいかないことも多いし。

「面白そうだね」とか言っておいて、何ページかパラパラと見てみても、すぐ返してしまい、結局後からでも読んだりしないのは何か失礼な気さえしてしまう。
社交辞令として「興味を示し」ただけに見えてしまう。
そんなときには、ごくショートタイムで借りて読んでしまう。

速読みのもう一つの使い所は積ん読の処置、処理、対策だ。
「いつか」読もうと思って所持している本を読むための「いつか」は永遠に来ない。
自分が生きている「今」を基準に考えれば、「今読むか」「今読まないか」の二択しかない。

(今)読めば、その内容が経験や体験、知識になる(可能性が生まれる)。
読まなければ、絶対的にゼロだ。

どんなにいいかげんに読んだとしても30分程度かけて全ページに目を通したのならば、そこで得られたものは何らかの体験や知見、人生を変える要素になりうる。
何か少しでもフックするものが残っていれば、再読してさらに得るものを深めることにつながる可能性だって、読まないことによるゼロよりは確率が上がる。

2012-12-21 07:00