困窮した友人は助け続けなくてはいけない

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見かけ上、何年も同じテーマで愚痴り続けていて、何度、そこから抜け出すことを勧めているのに一向に行動を取りそうにない友人がいたとして。

もう仕方がない。
自分では抜け出すつもりがない。
実は今の環境が心地いいのではないか。
自分がこんなに言っているのに自分の意見を聞かないなんて、自分はなんと無駄なことをしているのだろう。
いい加減、放っておこう。
本当に(誰にもわからない)困ったのなら、その時にはちゃんと(また)ヘルプを求めてくるだろう。

数年来、会う度毎に愚痴を聴き続けてしまうと、聞き手も慣れてしまう。
自分の(親切な)アドバイスを聞かないのだから大切な友人であったとしても、もう手を差し伸べるのはやめておこうと考えてしまいがちだ。
本当に困っているのか怪しいものだ。そういう風に感じ始めてしまう。

聞き手も含めて固定化した困窮の環境に変わってしまう。
これは危険な合理化思考かもしれない。

手は差し伸べ続けなくてはいけない

聞き手も疲れてきたり、不安になってくる。
そこで助けを躊躇して中断してしまえば、困っている友人の、困っている環境に加わってしまうことになる。
それは「環境型ハラスメント」と言われているようなものであったり、いじめを傍観する「共謀者」になってしまっている可能性がある。

愚痴を聴き続け、助けを言葉や行動で示し続けるべきだ。

本当に困っているかを見分けるポイント

・こうしなよー、というアドバイスに対して、はっきりと拒否、拒絶の反応を示す場合には、よほど心身の状態や環境が悪くて、結局のところそのタイミングでは友人がうまいことにはヘルプを受け入れられない状態である(ことが多い)。
・はっきり拒否しないで「うん。あたしもわかってはいるんだけど。。」というような反応の時には急いで行動の変化を求めないで待つ。ただしアクセスはし続ける。手を伸ばし続ける。

だが、手を伸ばし続けるのは辛い。
こうした状況では聞き手、助け手であるあなた自身が、自分の心身の体調を整えることに留意するのが最優先だ。

2014-04-01 18:00

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