規制は自由の敗北なり

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フェイルセーフという考え方がある。
人間がミスをすることは完全には防げない。機械だって壊れるし、コンピュータが判断を間違うこともある(機械やコンピュータ、それを動かすプログラムを作ったのは人間だからこれも人間のミスと言うこともできるが)。

人間が失敗や間違ったことをしないように、そもそも大失敗につながる前の段階で、行動を規制したり制限したりしてしまおうというのは、有効ではあるけれども自由を奪うことになるから、人間の敗北と思えることもある。

痴漢を未然に防ぐために女性専用列車を設ける、盗撮をしにくくするためにケータイのシャッター音を消せないようにする、レバーの生食で食中毒が起きたなら法律で禁止する、などなどもすべて間違いや悪意が存在することが前提となっている。

しかし、直接的に生命が危険に晒されるとか、大きな怪我を負うとかいうのでない限り、最後まで自由を残すほうが良い。

制限や規制には当然、デメリットもある。
女性あるいは男性専用のサービスは堅く見ると性的な差別を許容していることになる。
いつでもどこでも間抜けな音がする日常は余り好きではない。
何か問題が起きた時に行政が科学的・論理的な思考と見えるように権力を振りかざすのはどうかと思う。

世の中、何がどこまでギリギリセーフで、どこからが取り返しのつかないレベルなのかというのは簡単には測れない。
あらかじめ保守的なレベルで線を引いておくのは、事が起きた時に批判したり罰したりするのにはとても都合がいい。
だが、ときにはそれが、権力側の省力のためだけのものだったり、思考停止そのものだったりしがちだ。

効率は悪いように見えても、毎回毎回検証と判断をし、安易に一般化しないというのも大事だ。
あえてそうするほうが、実は勇気がいる。

2012-11-06 07:00

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