「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか」から惨事対応エッセンスを読み取る その1

20120912130341

「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか」を読み続けてそのまま読了。

トムラウシ山遭難に見る医学・社会・心理 | deathhacks

トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか (ヤマケイ文庫)
羽根田治 飯田肇 金田正樹 山本正嘉
山と渓谷社
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この本自体はリスクマネジメントやツアー参加者18名中8名が亡くなる原因となった低体温症の医学的側面について主に書かれている。
しかし、これだけ大きな惨事であるから、インタビューや現場での心理的描写の中などに惨事後反応として一般には得がたい情報も見られる。
そのあたりを特にメンタルヘルス的視点からコメントしまとめておきたい。

本書の内容順番には逆らうが、まずはあとがきから。

(p.355)
 言うまでもないことだが、この事故の事実はひとつではなく、事故に直面した十八人それぞれに事実がある。残念ながら八つの事実についてはもう知ることは叶わないが、事故の報道を見ていちばん危惧したのは、残る十のうちひとつかふたつの事実によって事故の全体像が語られてしまうことだった。

トムラウシ山遭難事故はまったくの自然環境で起きたものであるため、また半数近くが死亡したためもあり、科学的な事後検証の精度に自ずと限界があった。
生還した者も行程の途中から低体温症の症状により、事実の有無や会話についての記憶の欠落や相対的錯誤などが出ており、特に時間的感覚が相当に乱れていた様子がうかがえる。
そうした状況が先ほどのあとがきにおける記述につながっているのだろう。

同じようなことへの認識と実践上の注意を、惨事後反応や心理的サポートを扱うときには払わなくてはいけない。
特に複数の当事者に対して同時に介入し、専門家としてファシリテートしていくことが求められるグループミーティングでは重要なことだ。

真実はひとつかもしれないが、事実は人数分ある。
なんだかドラマチックな物言いかもしれないし、この事故や犯罪など、一定レベル以上の判定を下さなくては決着がつかない社会的な事情が絡むことは少なくないから個人や組織は葛藤するかもしれない。
ただ、もしも心理的サポートに軸を置き、当事者のできるだけ多くが傷つかないような手当てをするというやや理想論的なものを目指すのならば、基礎的な認識とバランス感覚を持ち続けることが要になる。

2012-09-13 07:00

(参考URL)

トムラウシ山遭難事故 – Wikipedia

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