時間をお金で買うことができる
「時間をお金で買う」とは、長距離移動する時に、車なら高速道路を使うとか、電車ならば急行や特急、新幹線に乗るようなものだ。
徒歩と電車・バスを組み合わせるのではなく、タクシーを使ってしまうというのも、時と場合によってはコスト的に十分ペイするだろう。
ルーチンワークなどを社内外の他人に外注して、自分自身はより高付加価値のある仕事をするというのも同じことだ。
現代社会のネットワークや技術、密度などを活用すると、増々容易に時間というものをお金で買うことができるようになっている。
お金を時間で買うこともできる
では、逆に「お金を時間で買う」ということを考えてみる。
これは一般的な雇用における時間拘束や、もっと直接的には時間給を払うことで労働力を買い上げるしくみということになる。
実際は時間だけではなく、その時間内に肉体や頭脳を使って仕事力を提供することによって、汎用的な価値のある金銭を得る。
金銭が時間に比べて優位なことは、それを様々な物やサービスと交換しやすいという点だ。
それに他人の時間を直接にいただくわけにはいかないが、お金ならばそれが可能になる。
「タイム」という映画ではそのものズバリ、金銭が経済の血液ではなく、時間がその代わりになっているという世界を描いている。
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時間とお金の違い
時間とお金の違いは何だろう。
どうやら、現代社会ではうまいことに、互いに様々なレートで行ったり来たりをさせることができる。
ただし、お金の方が、無限性が大きい。
科学的にどうかはわからないが、ある程度コントロールされつつも、世の中の貨幣経済の総量は増えている。
理論的には無限だろう。
実際は無限でなくてもお金と比較すれば、その差は歴然だ。
時間は誰でも最大で一日24時間しかないものだから。
逆に何かしらの理由で時間を早く進めたくても不可能だ。
それに人間は生き物としての制約があるから、24時間が平等に与えられていても、その中で睡眠や食事、社会的な義務などでその利用には一定の制限が加えられている。
まとめ
時間とお金は異なる概念だ。
ただし異論はあるかもしれないが、どちらも人間が生み出したものだ。
概念は変えられるし、意思や思考によって利用や運用ができる。
これらを交換可能だというのは、別に不思議でもなんでもない。
元々どちらも人工的なものだからだ。
2012-07-21 09:00
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