学ぶことのルールが変わった

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私が思うに、物事を学ぶことのルールが変わってきている。
事実や知識をインプットしたり、受け取ったりしているだけでは、本来得られるものの半分にも満たないし、学習したことにはならない。
アウトプットする以外に、真の学習や成長はない。

いや、確かに大昔から同じ事は言われてきている。
「教わるだけではなく、他人に教えることで知識や技術が本当に自分のものになる」というのはそこここで聞かれてきたことだ。
しかし、破壊や変化の時代では、このことを頭に入れて、もっと自身を追い込んで学ばなくては使いものにならない。

次の変化・混乱・実践の時代でサバイバルするための準備運動 | deathhacks

今まで理解されていた「学習」のしくみは「教わる者が知識や情報、技術などをゲットして成長や利得を得る」というものだった。

しかし、実際は(実は古来からそうであることは変わっていないのだが)学んだ気になっている者は、何も学んでいないし成長していない。
極論としてはそういう認識をした方がいい。
出力して教えた者だけが、学び、成長していく。

例えばメンタルヘルスの学習やトレーニングで言えば、「うつっていうのは◯◯というように解釈して説明すると良いんだよ」とレクチャを受けるとする。
それ自体がいけないとか無駄というわけでは決してない。

しかし、そのあとのアクション、行動、思考が問題であり、成長するか否かの明暗を分ける。

「なるほどー。腑に落ちた! 今日はいいことを勉強して得したな。。」というように感動感激して終わり止まってしまったら、当人の満足感や充実感とはまったく違って「身に付いてはいない」。

どうすれば良いかと言えば、受けた内容や理論を足がかりにして、自分なりに咀嚼消化して、再構成し、「今議論していることは、つまり、、こういうことですかね?」「〇〇という表現もあると思うんですが、聞いてみてどうですか? かえってわかりにくいでしょうか?」と、投げ返して「うん。良いのじゃない」「なるほど。悪くない」というように他人の頭や感情に響かせるのだ。
これを質と量、両方膨大に積み上げていって、初めて「学ぶ」ことになる。

だから、過去に言われて、歴史が示しているように、教え、アウトプットしてきた者が一番理解し、成長し、得をしてきたのだ。
これが「勉強するのには他人に教えるのが一番良い手段」と言われてきた理由だ。
今の時代にはなおさらこれが当てはまる。

変化の時代には、皆不安が強くなるから、なおさら「教わって満足し、安心する人」と「チャレンジしてアウトプットして試行錯誤、失敗を積み上げる者」の差が生まれていく。

近年、勉強会やセミナーが盛んで、その動き自体はとても良いと思う。
しかし、その中での参加者や主催者の中でも、今回説明したような、教える側と教わる側の間の成長格差というものはドンドン進行していく。

私から言わせれば、勉強会などにお金を払って参加しているということは、無駄とまでは言わなくてもとても費用対効果が悪いトレーニングになりかねないという危険がある。
実は、勉強会やセミナーを主催し、チャレンジやアウトプットを1つでも多くしている者は、対価を得た上に成長までしてしまえる、好都合な位置取りなのだ。
しかも、まだまだ多くの人はそれに気づいていなかったり、その位置に向かって踏み込んでいけていない。

学習のしくみというものは、一見誰でも理解しているようでそうではない。
当たり前と思っている部分や細部から変化していかなくては自身は変わらないし、変わっていく世の中で生き残ってもいけない。

2012-05-24 09:00

(関連URL、追記2012-09-07)

払うべきか、稼ぐべきか – Chikirinの日記

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