うつに対して「治るよ」と反射的に言うための準備と訓練と覚悟と

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うつが治るということについては、何回かエントリを上げてきた。

うつは治ると言う | deathhacks

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うつは治るが治せない | deathhacks

「うつは疲労である」と言うことの意味 | deathhacks

「うつは疲労である」と言うことの意味〜翔〜 | deathhacks

カウンセリングやサポート、ケアなどで「うつが治る」と言おうと決めたならば、あとはそれを反射的に実行するための準備と訓練が必要だ。
これは「あらかじめ覚悟をしておく」と言い換えてもいい。

普通「覚悟をする」と聞くと、ある瞬間から精神的なものがガラッと変わり、啓示のようなものが降りてくるようなイメージがあるかもしれない。
しかし私は、覚悟というものには一定の期間の準備が必要で、ジワジワと整うものだと考えている。

例えば、先日私は、小走りしていた人が路上で派手に転んで顔面をしたたかに打ち付けてしまい、流血までするような場面を正に目の前にしたことがあった。
自分は特に意識せず、すぐ駆け寄ってそばにしゃがみ、「大丈夫ですか?」と声をかけ、ティッシュペーパーを差し出し、適切に様子見と手当てをした。
私と同行していた人に後から聞くと、「ずいぶんスムーズに行動していたねー」という印象だったようだ。

ここで言いたいのは、別に私がすごいとか優しいとかえらいとか道徳心がどうとかいうことではない。
実は私が、ためらわず、サッと動いて、倒れた人をケアしようとできたのには、正に準備をずっとし続けてきたからなのだ。

過去に数回、似たように怪我や病気などで具合が悪い人にたまたま出くわすことがあり、その度に「次はこうしよう」とか「もしこんな状況が起きたらどうすればいいかな」ということを考え続けてきた結果が、今の私の準備であり、今回やったこと、そして次回にできることにつながっているのだ。

そう考えると、覚悟や実際の行動は単にごく一部分、あるいは結果でしかない。
時間や労力のかかった大部分は日常の中の準備や備えだったとわかる。

同じようなことは、禁煙とかアルコールを減らすとかいうことにも通じる。
もちろん、タバコを止めた瞬間、飲酒量をどういう風に減らせていったかを、ある時点で測定したり確認したりすることはできる。
しかし、そのための準備、行動が変わる(変容する)までの内面的、精神的な変遷にも注目するべきだというのが、近年の医療や心理学上の常識だ。

「うつが治る」と言うか、言えるか、ということについても同様だ。
半分は意識上の理解や知識そして納得であるけれども、残り半分は現場を意識した反射や習慣のようなものであって運動やスポーツと同じく訓練の繰り返しが必要になる。

2012-04-26 08:00

Posted from DPad on my iPad

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