感情のメモリー

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感情というものはやはり何か目的があって存在すると思っている。
目的、というとそこに何か「神の意思」のようなものがあるようなイメージだが、それとは少し違う。
感情があることによって、生き物もしくは種として有利になる点、つまり意義があるのではないかという仮説思考だ。

感情の目的の一つは「記憶するため」だろう。

人間は、それが「大事だ」と思うことによって覚えやすくなる。
逆に言えば、大事だと感じなくては忘れてしまう。
興味のないことの勉強などで、無意味に思えていることは頭に入らないし残らない。
好きなことや好きな人のことであれば、意識しなくても記憶に残る。

この性質は、不幸なことや失敗、惨事や悲しいことなどであってもはたらく。
今度は忘れようとしても、いくら本人が忘れたくても、わすれられないという現象が発生する。
これがいわゆるトラウマ(トラウマティックな出来事)だ。

人間は、何かの理由があって、どうしても覚えたいこと、忘れてはいけないことを記憶にとどめるように努力や工夫を重ねてきた。
繰り返しや反復で暗記しようとするのは旧くからあった知恵だ。
これはある意味人間の無意識を騙して、「何度も目の前に存在している事柄だから、これは大事なことだぞ」と錯覚を起こさせているのではないかと思う。

そう。結局いまのところ、記憶というものはまだまだ解明されていない部分が大きい。
記憶を自由に操作、コントロールすることを人類はできていない。

記憶に残るかどうかは、無意識が決めていて、わずかに手を出すことしかできていないのが現状だ。
しかし、この「記憶」というものを解明していき、コントロールすらできるようになるとしたならば、「感情」がその入口や切り口の一つになるはずだ。

2012-04-20 07:00

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