一昨日4/13に《「うつは疲労である」と言うことの意味 | deathhacks》というエントリを書いたが補足しておく。
「うつは疲労である」という説明は、クライアントであっても、学んだりそれを用いるカウンセラーにとっても、多くの場合にしっくりと腑に落ちる。
しかしそれは「必ずいつも、誰にでも」というわけではない。
学んで、感動し、目からウロコが落ちた成功体験がカウンセラーにあると、現場で思考停止してしまい、深い考えもないで、どんなクライアントにでも「あなたのうつは疲れによるものですよ」と言ってしまいがちだ。
ここには落とし穴がある。
「うつやその症状、トラブルが疲労によるものだ」という言い方は、時としてそれを聞いたクライアントに「私の苦しさはたかが疲労なのか…」「こんなに困っているのにカウンセラーさんはたいしたことないと思っているのだ」という裏メッセージを与えることになる。
現場ではクライアントや時期と場面に合わせて、
「疲労だから休めば良くなる」
「誰でも疲労はするものなのだからあなたは絶望しなくてもいいのだ」
「疲労と言ってもヘトヘトという感じ」
「疲労というよりは疲弊かなぁ…」
「疲労困憊している感覚ではないですか」
「ただの疲労ではないからここは注意して協力しながら乗り切ろう!」
などのように細かに丁寧にメッセージを調節しなくてはいけない。
先のエントリに書いたように、うつの原因は完全に解明されてはいないし、相当先まではっきりはしないだろう。
「うつは疲労」という説明も、永遠に、高い確率でクライアントをうまく支援できる説明の一つであるかはわからない。
すべてのことについて、なぜ「そう」説明するのかを深く考え続けなくてはいけない。
2012-04-15 08:00
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