デブリーフィングとフグ


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デブリーフィングはとりあえず心理臨床や惨事介入のツールとしては表舞台から消えている。
場面と内容を限定したグループケアなどにその名残りや改変が見られるくらい。
かなり似たようなことをやろうとしながら、名称を調整するなどするのみで実践に持ち込む状況もある。

私個人としては、大きなケア効果をもたらす可能性があるディブリーフィングやグループケアが、まだまだ吟味・精査する余地があると思えるのに、杓子定規に切り捨てられるのはもったいないと思っている。
過去にいくつか研究や効果検証がされてはいるが、手法としての対象がはっきりしていなかったと感じる。
言葉の定義からあらためるべきではないか。

もちろん科学的に考えて、そのものの100%を解明することは不可能だろう。
しかし、現在のデブリーフィングに関する思考停止は、フグの肝を食べて中毒を起こした人がいたからといって、二度と食べないとか、食用を禁止するようなものだ。
適当な姿勢というのは、もっと対象を研究することかもしれないし、その結果専門家ならば扱えるものかもしれない。
フグの調理免許制のように。

今のデブリーフィングの扱いには、こうした「フグ」についての過剰な恐怖や、最近の「レバ刺し」食用一律禁止法整備への疑問と同じものを感じている。

2012-04-05 09:00

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