年配、年上というだけの人からの人生アドバイスは役に立たない

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生き方に迷ったり、不安になったときに、経験者の助言というのはありがたいものだ。
しかし、それが実際に役に立つかどうかは当然未知数だ。
人生経験が少ない人間が頭を絞って考えたアイデアも、年寄りが持ち合わせた豊富な経験則から導き出したプランも、本質的に差はない。

歳を重ねた人間が、自分の半生を振り返ったときに、その中に教訓を見出すことは確かにできる。
重要な転機になった出来事や決心を見つけることができる。
進まなかったり、選ばなかったことにより、失敗を避け、破滅をまぬがれた岐路や転換点を思い返すことができる。

しかし、それらは錯覚である可能性が高い。
少なくとも、これからを生きていくために応用・適用することができない。

ある人が人生を回想したときに、様々な決心や選択をした場面でも、どこまでその時点から見た未来を予測していたか。
そして、その予測は当たっていたか。

どんな勉強をするか、部活動は何をやる、大学はどこにいく、何という会社に入り誰と結婚する、どんな習慣を身につける、本は何を読んだ、などなど。
過去にした選択が「今」の自分につながっていることを予測できていたという人は少ないのではないか。

人生のすべて、あるいはほとんどを、予想して計画通りに理詰めに選択して今があるとは言えないのではないか。

そうした人たちが、思い込んでいる因果関係を「経験」と称して、後輩や若輩らに「こうすればうまくいく」「これは今のうちにやっておいた方がいい」と指導したとしても、それが100%信用できるとは思えない。

それらの助言や過去の現実から、真理や普遍性を見つけようとすることは大切だが、自分自身が何に依るのかは自分で決め責任を取らなくてはいけない。
当たり前のこととして、過去は未来ではないし、すべての未来が過去に従うわけではない。

他人のものでも自分のものでも過去を疑わなくてはいけない。
過去そのものではなくても、事実に見える勝手に作り出した可能性のある因果関係に騙されないようにしなくてはいけない。

2012-03-22 08:00

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