他人を助けたくて勉強したりカウンセリングしたりしているのではない

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私がなぜ心理業界やカウンセリングに興味を持ち、仕事や勉強として携わっているのか。
自分でも折に触れ考えるし、人から尋ねられることもある。
別にこの質問に答えられないと業界に関わってはいけないとか、不適切な回答や動機が存在するというわけでもないけれど。

同じ質問への他人の答えとしてよくありそうなものが「自分がクライアントとして心理臨床や医療に助けられたから、同じようなことを今度は別の人にしたい」というものや「人事や経営など、元々の業務上で心理やカウンセリングについて知る機会や学ぶ必要性が出てきて」
というものだろう。

もちろん私だって、「ただなんとなく何かを勉強したいと思って、たまたまそれが心理だった」というわけでも「自分を一番活かして稼げそうな業界だから」というような流れでもなく、やはり偶然にではあるが身近に心理やカウンセリングというものやわずかな必要性があったようには思う。
ただし今、少なくとも、せっぱ詰まった気持ちで「他人を助けたい」と単純に思って、それが動機やモチベーションになっているのとはちょっと違っている。

どちらかというと「あるべき状態がない」ことが許せなかったり不思議だったりする感覚を持っている。
目の前に食べられるものがあるのに飢えている人がいる感じ。
知識さえあれば食材や素材は身近にあり、道具や調理を適切にすれば苦しまなくていいはずなのに。

心理やカウンセリングには、日常や常識に取り込めて、自然に誰もが手に取り、使えるような切り口やノウハウが、他の業界や分野に比べても特に多くあるのではないか。
自分の足だけで移動して生活すること自体は別に悪いことではないが、例えば自転車がありそれに乗れれば驚くほど行動範囲は広がるし労力は減らすことができる。
自転車について言えば、ちょっとした練習で多くの人は扱うことができるし、ルールを守りさえすれば免許や誰かの許可も要らない便利なツールだ。
同じようなことを心理の分野でもすでに起こっていたり、これからもたらすことができたりするのではないかというのが私がなんとなく考えていることだ。

結果として、誰か苦しんでいる人が助かり、誰かや何かに感謝をしたりするかもしれないが、その元になるものは皆が元々持っていて社会全体が共有するのが当然なのではないか。

2012-02-12 12:00

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