自殺者の葬儀での身内のふるまいは難しい

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自殺者の家族や身内は、葬儀を行う場合に、様々な関係者の視線にさらされる。
関係者というのは、学校や職場など自殺者が所属していたコミュニティの人間、参列者、葬儀業者、僧職者、(色々な程度の付き合いがあった)親類などだ。

現実として、自殺という生命の終え方は、これらの人たちから、それ以外の死に方以上に忌み嫌われる傾向がある。
その背景には、自殺というものに対する怖さ、不思議さ、意味のわからなさ、不可解さ、理不尽さ(に対する怒り)、軽蔑などの感情があると思われる。

自殺者に近い家族兄弟などの身内はどのように葬儀でどのようにふるまうか(どう見えるか)を注目される。

取り乱して、葬儀という儀式ををうまく進められないと、当事者としては無力感を感じる。
身内の自殺という出来事によって、それを止めることができたのかできなかったのかを思いめぐるなどして失った自信をさらに削られるような状況が振りかかる。

参列者や関係者、ときには大なり小なりの社会に対して、責任を感じる部分もある。
すまない、申し訳ない、と自分を責める、あるいは責められる感覚を公の場で味わうことになる。

逆に、麻痺や回避のようなしくみで、または意識することによって、見かけ上あまりに淡々としていると「ショックを受けていないのではないか」「悲しくないのか」「責任を感じていないのか」などのような誤解を受ける。
実際に感情的、精神的な麻痺というのは自己防御や生命保護の機能としてはとても有益で大切な能力であるはずなのだが、その理解や感覚を持たないで、その点を強調するような状況が起きると、これもまた強烈な自責や無力を感じることにつながる。

理想的には、徐々には、こうした人間の心理や精神的側面は個人や社会に広く知られていくであろうが、そうでない時点ではどこかのポジションにいる人がキーパーソンになって、または助言者やサポーターを置いておくとなにか困ったときには助かる。

2012-01-31 08:00

(関連ブログエントリ)

自殺者をおくる人 – 自殺サイト:自殺 臨床心理学

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