倫理規定をつくらないことのリスク

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団体や個人が心理カウンセリングもしくは危機介入などを業として請け負う場合に「倫理規定」を持っていない場合のリスクについて考えてみた。

心理カウンセリングやメンタルヘルス周辺のサポートというものは、医療との間に少なくとも日本の制度上は一線を引かれているが、ヒポクラテスの誓いを元にした「害をなしてはならない」という原則は最小のルールとして適用されると一般に考えられている。
一方、多くの団体(例えば、産業カウンセラー協会や臨床心理士会など)では、倫理規定を独自に整備しそれにのっとり現場や運営を管理している。

倫理規定を作り公にし運用していないと、以下のリスクがあると考えられる。

  1. 外部から、倫理規定すらないのかと見られる
  2. 非倫理的と思われる事柄があいまいなため、運営・活動の判断や行動を躊躇する
  3. 個別の非倫理的事案に対して判断や裁定を下すのに都度時間や労力がかかる

1については一定規模以上の事業や団体であれば、倫理規定があって当然という時代になっているという現実がある。
個人情報の取扱いについてやや過剰とも言えるくらい説明や同意の確認がされるのと似たようなものだ。

2で想定しているのは、個人個人が常識と思っていることの違いによる混乱やトラブルが日常的にあるということだ。
細かな不具合があっても、社会や行政などの多数やお上が咎め、悪いことや避けるべきこと、してはならないこととして決めていないことすべてに対していちいち指摘したり気をわずらわせたりすることは気持ちの上で大きなロスや消耗につながる。

3で挙げたように、実際に明らかなトラブルがあったときにそれをどう処理するのかということを考えておかなくてはいけない。
その処理にあたり、基準がまったくなければ、それぞれに対して一から議論をし判断をしなくてはならなくなる。
そして一度そうした仕事をしても、それがまた再利用できる確率は低い。事案というのはすべて固有の要素からなっているからだ。
これが個人ではなく団体であれば、トラブルのたびに集まり相談し決めるということに大きなコストを払わなくてはいけなくなる。

倫理規定を作るか否かについての私見

こうした規定というものは、トラブルや事件が起きてから考えるべきものではない。
後からさかのぼって当てはめるということは一般の法と同じくやることは適切ではないからだ。
それこそ、そうした事自体が非倫理的と思われかねない。
理想的には、可能な限り予想できる事態に対処できるような共通認識を明文化し、トラブルの予防のために利用できるようにしておくことだ。

実は私は、倫理規定をどんな個人カウンセラーや心理サポート団体であってもつくるべきだと言っているわけではない。
今回書いたようなリスクがあることをわかった上で、そのデメリットよりも大きなメリットがあると考えれば、慌ててこうしたバックオフィス的な仕事を優先する必要はないだろう。

心理カウンセリングや惨事に対する介入サポートというものは、扱う内容やテーマが人間関係や人生そのものということになる。
しかもその内でも、個人の力や法律、金銭などでは解決したり、良い変化をもたらすことが難しいものを扱うのが必然となる。
もちろん、繰り返しになるが、一つ一つすべてを時間と労力を使って話し合い、議論を詰めて結果を出してもいいのだが、多くの場合「ケースバイケース」というような言葉であいまいさが残るだろう。
それが人間関係や集団の社会というものだ。

なぜそれ(倫理規定)があるのか考えたことがないが最初から当然のように頭にだけは入れ守っていた人も、そもそも有意義なことをクライアントの合意の上でやっている行動(カウンセリングやサポート)なのだから問題が起こったり非難されたりすることはあるはずがないと思っていた人も、あらためて考えてみるべきテーマだと思う。

2012-01-23 11:00

(関連エントリ)

倫理規定は要らない | deathhacks

(関連URL)

倫理規定を作らなかった倫理的な企業:発想七日!:ITmedia オルタナティブ・ブログ

鎌田麻莉、気ままに日々を語ったり、お知らせしたり | 倫理綱領について その1

ヒポクラテスの誓い – Wikipedia

害をなしてはならない – Google 検索

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