性格は変えられる

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人の性格は変えられないと言うが本当だろうか。

ある人の性格は、親しかったりその人をよく知っているならば、「明るい」とか「慎重だ」とか「努力家です」というように表現できたりする。
普通、その内容が1日単位や数時間単位でコロコロと変わったりするのは見たことがない。
とすると、経験的にはやはり性格というものは簡単に変わったり、本人の意思で変えたりすることはできない気がする。

一方、世の中には「2週間で自分の性格を劇的に変える方法」とか「こういう性格になって異性にモテよう!」とかいう本が結構あったりもする。
性格を社交的に変えれば人生がうまくいきますよー、というテーマのセミナーなどもありそうだ。
こうした本や集まりは、性格が変えられることを肯定している。

結局、性格というものが何かと言えば様々な事柄に対する反応パターンを集め組み合わせたものということになるだろう。
事柄というのは目に映るもの、触れるもの、聞こえる音、自分の身体の内部の感覚、頭の中で考えたことなどのあらゆるものがそれに当たる。
事柄は情報として、無数に連続して入ってくる。そしてそれに対して、考えたり、しゃべったり、打ち返したり、リアクションをする。
それを総合してパターン化して、他人やその人自身が傾向を読み取り、抽象化して、いわゆる「性格」という名前で読んでいる。

性格に生まれつきというものはもちろんあるのだろうが、生まれ育つうちに得られた情報や周りの環境からの影響とどちらが大きいかは簡単な議論や科学的検証ではわからない。

ただ、少なくとも細かな反応パターンの連続かつ集合としての性格であれば、学習によってパターンを変えることはできるだろう。
ただし、元々ある反応パターンがどれくらい強くて意義や理由などがあり、それを打ち消したり変えたりする情報の強さや理由付けをどう作り上げるかという課題がある。

性格は変えられる。
しかし、簡単ではない。
学習の打ち消しと違うパターンの再学習という作業が必要になる。
というのが、実際のところだ。

「洗脳」という作業も似たようなことをするのではないか。
「学習」というものの科学的な分析と理解が必要だろう。

2012-01-16 08:00

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