他人のためにカウンセリングをしない

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自分の近辺で、だいぶん私が「他人のためにカウンセリングをしようとは思っていない」と言っていることが浸透してはおり。

私がそう吹聴しているのは、私の周りや聞こえてくるカウンセリングなどのケースの中に、ちょくちょく、こじれていたり、危なっかしいバランスになっていたり、ケアギバー側が不適当なほどに消耗していたりするものがあるからだ。

それ以外にも、私が心理やらケアやらに関心を持ちはじめ、今もその状態が続いている理由の大きな一つが、「自分の気持ちや内心の反応を詳しく知りたい、説明をつけたい」というものだからということもある。

「他人のためではない」と言い切ってはいるけれども、それは別に「人の気持ちを考えない」とか「人助けをしない、協力しない」とかいうことではない。私もふつうに、何か仕事をなして、感謝されるとか、褒められるとか、頼りにされるとかすれば嬉しい。

ただ、カウンセリングやメンタルヘルス分野では、あまりに直接に、短期的に、クライアントらからの評価などを得ようとすると得てして足元をすくわれたり、チグハグになったりしがちだと思う。だから実は過激だとも思えるが「他人のためにしない」ようにしている。

他人のため、とまず最初に考えすぎると思考が曇る。やるべきことや言うべきことが出てこなくなる。自分の言動を客観的に見られなくなる。それはプロとしては、避けられる分は避けなくてはいけない。

この客観的なフィードバックの源として、そして良い悪いの評価から得られる次のアクションへのやる気を得るためには、仲間やチームがあると良い。だから一匹狼でいようとも、いたいとも思ってはいない。

2011-12-09 15:00

(関連エントリ)

誰のためにメンタルヘルスの勉強をするのか | deathhacks

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