量産できなきゃ戦えない

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一定水準以上のものを量産できなくては、現場で戦えないし、存在意義すら危うくなる。
心理カウンセラーもそうだ。
IKEA家具もそう。
ガンダム(というか、ザクやジムか)もしかり。

IKEAに初めて行った。
行ったのは船橋店。

IKEA船橋 | トップページ – IKEA

IKEAについて情報や知識としては知っていたが、やはり実際に行ってみないと「理解」はできないものだ。

  • 総合的な「体験」を売っている
  • 家具やインテリアなどを売るというよりも「生活」や「スタイル」を提案している
  • スケールがとにかく大きい
  • スケールメリットや総合的なデザインによるサプライズ的な価格破壊感

IKEAでは立地や建物内の配置や動線などが明確な意志を持ってデザインされている。
ショールーム的な前半とセルフピックアップと会計をする後半が分けられていたり、その前半でも(実際は目安としての意味合いだが)順路が決まっていたりする。
前半と後半の間にレストランがあり自然な流れで前半の総括と休憩を促される感じだ。
入り口を入った直後には子供の遊技場があり、出口直前にまで格安の軽食コーナーがある。
これはディズニーランドのようなテーマパークとしてのアイデアや全体デザインがされているのだと思う。

もちろん背景にある思想やテーマだけが興味深いのではなく、郊外の広大な面積条件を利用した倉庫的な店内や、セルフサービスを基調として周知させていること、量産体制や選択と集中による圧倒的な価格設定などが、最終的に「心地良さ」や「驚き」、「楽しさ」という体験につながっている。
量産、ということについて言えば、その製品や商品、サービスが本当に良いもので、社会的にも望まれているのならば、それを目指すことはもう時代的な必然だ。
もちろん一点物の作品や芸術品・美術品を否定したり、対立的に考えるものではない。
内容やそれを使う人に生じる価値や満足感を目標にするのであれば、手で書き写した本ではなく、印刷技術で必要量コピーしたものを提供した方が良いはずだ。

IKEAモデルは、心理カウンセリングというサービスを考える上でも参考になる。

  • 部分的な技術や結果だけを重視して提供するのではなく、全体の成果や体験を提供するべきだ
  • 素晴らしい技術や体験であっても、提供できる人や場所が限られていたら、その意義は少ない

カウンセリングを学んだり、提供したりする上で、理論やテクニックは大事だ。
しかし、その提供を受けるクライアントなどにその一つ一つの意味や歴史、背景などを細かに説明したり知らせることは必ずしも必要ではない。
当たり前のことのようだが、古典的な精神分析や認知行動療法などは、そうした部分をクライアントの事情やコストに対応して調整するという姿勢が乏しい。
クライアントが望む成果や体験が、「結局」、「総合として」何なのかという視点を持つべきだ。

名人芸は、それが名人芸であるがゆえに広まらない。
多くの、それを必要とする、一般の人に届かない。

ごく限られた人しか持ちえない技術を突き詰め、提供するのではなく、誰でもちょっとした労力や時間でマスターできる技術にはネットワークが普及した今こそ価値が高い。
技術者を量産し、大量に提供することを目指すのだ。

注意したいのは、量産を礼賛することは、最先端の技術や研究の価値を否定しているのでも不要だと言っているというのでもないことだ。
理想的には市場に提供されるカウンセリングの質と量がピラミッド型になることである。
今の世のでは、学術的・研究的な権威によって、ピラミッドのある部分から下が小さかったり無かったりしている。
また、カウンセリングの技術者を「量産」するといっても、その「量産型」が誰にも彼にでも同じ対応をするとか同じケアをするとかいうことではない。
内容のすべてまでを「コピー」するのでない。
家具やインテリアの一つ一つが同じであっても、それが入る家や部屋、並べ方や組み合わせの種類は無限であるし、より好ましいゴールはクライアントそれぞれによって異なるだろうことと一緒だ。

2011-08-31 09:00

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