メールでのカウンセリングで文章や言葉を繊細に扱う

SDIM1022

現在は、メール(Eメール)を使って相談をしたり、受けたりということが一般的になった。
直接に対面しなくてはカウンセリングではないとか、効果(それはなに? 元々科学的に定量もしくは定性的に判定していた?)がないというのはナンセンスだ。
もちろん現実に顔を合わせてするように、表情や声のトーン、間や沈黙、リズムのあるやり取りの交換などはメールでは難しいだろうがそれは当然のことだし、適材適所に扱えばいいだけのことだ。

むしろ、メールというツールの持つ特徴や利点を理解して活用すれば、良い成果が得られる。
クライアントが長い文章を寄越すのは情報量が増えることと、思考や感情を外部化、客観化する作業としてみると良いことだ。
もちろん文章を書くことを含め、どんな作業にも疲労などによるマイナス面もあるから注意をはらうのは他のどんなものとも同じこと。

カウンセラー側が送る言葉や文章は、誤解が皆無であることを狙う必要はない。
情報提供という目的がはっきりとしている場合を除けば、短いほうが良いだろう。
メッセージコントロールをした文章を、クライアントの状態や性質を考えて、適切な漢字や語彙で表現することは普段から訓練していなくてはできないだろう。
それが「言葉を繊細に扱う」ということだ。

普段の直接対面するカウンセリングでも、自分が発する言葉やフレーズに注意を向ける。
メッセージコントロールに馴染みが深くなると、今度はなんでも雰囲気や態度、表情だけでクライアントに伝えてしまえるという誤解をする場合がある。
一定以上の人生経験があり、知的なクライアントであれば、想像以上にカウンセラーの一言一言に影響を受け、反応している。
それが、電話やメールなどのコミュニケーションの中ではより拡大される。

Twitterやブログなどがこれだけ普及した世の中だ。
紙媒体の、いわゆる「本」や「書籍」を読む機会は減っているかもしれないが、単純に「文字」を読む機会は現代がもっとも多くなっている。
また、文章を書くことも多いし、その経験も増えた。
一世代前くらいまでは、強制されたとき(教育の場や、年賀の挨拶くらいか)にしか、手紙や文章をしたためなかった年齢までに、現代に生きる者はその数十倍の文章を書いているだろう。
それが、筆記具を手にして紙に書いているのか、それとも小さなケータイの画面に指だけで打ち込んでいるのかはあまり関係ない。

短さを競うものでもないし、必要でもないが、いかに適切なかたちで文字や文章やフレーズや内容を扱えるかということが、カウンセリング全般の能力として試される。

2011-08-29 08:00

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