ガー・レイノルズの「裸のプレゼンター」を読みながら自分のプレゼンを振り返る – その4

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今回は私のプレゼンについての直接の話というよりは、私が教育や講演主催側でありスタッフやサポートメンバーであったりするときに考えていることを書こう。

単純にはこういう時に他人(ひと)は、自分も勉強や復習をするために参加している。
あるいはもう少し進めて考えると、「自分が次に教育や講演をするときの参考にしよう」と頭を動かしているかもしれない。

私はその先を目指したい。
それは「もしも今日事情によって講師が来られなくなったり、途中で講師の体調が悪くなったりしたときに、自分が代わりを務められるようにしておこう」と常に考えている。
また、「今停電になって、PCやプロジェクタが使えなくなったとして、自分ならどのようにこの場を引き継いで続けていくか」というシミュレーションもする。

ちょっと考えが奇妙だったり、不遜だったりするかもしれない。
こう考えるのは、私が主催側スタッフであることが最近多いからだろう。
何かトラブルや不注意で、参加者に不安や不満が生じることが許せないから、あるいは悔しいからだ。
それが例え、講師の不調だったり、会場やそこの機材の不具合、はたまた天変地異だったとしてもだ。
そこまでの危機感を持っていたいし、危機管理をすることを想定したいというのが私の個人的なポリシーだ。

そしてそこに講演や教育コンテンツの商品としての価値の担保までも含めて考えている。
だからガー氏が以下の引用内で言うように、スライドやマイク、PCの不具合くらいでその商品の本質や価値が参加者からみて毀損しない準備をしたい。

The show must go on ― 何があろうともショーは続けなければならない

(中略)
プレゼンテーションに関して言えば、プレゼンターがスライドを1枚を挿入し忘れようが、スライドの色調がPCの画面に比べて見劣りしようが、聴衆はそれを知らない(あるいは、気にしていない)はずである。なのに、なぜささいな失敗にこだわるのか? 機材に多少の不具合が生じても、構わずにプレゼンテーションを続行しよう。さらに、機材が全く使えなくなってしまった場合に備えて「ビジュアルを使わずに、メモを参考にしてスピーチを行う」、「ホワイトボードを活用して話を進める」といった代替案を用意すべきである。忘れないでほしい―何があろうが、たとえテクノロジーがダウンしようが、ショーは続けなければいけないのだ。

– 裸のプレゼンター、ガー・レイノルズ、ピアソン桐原、2011、p.119

2011-08-13 10:00

裸のプレゼンター
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