誰がどの立場から言うかによって言葉の意味やメッセージはガラリと変わる

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常識や経験が豊富で、察しが良いカウンセラーは、クライアントの話をちょっと聞いただけで「察し」てしまう。
そのことがそのまま出てしまうとクライアントの感じている「世界」観とのズレが出てくる。

察する、察しないということ自体は重要ではない。
カウンセラーがどこに位置してどのような視点を持とうとしているかが問題だ。
例えクライアントの半歩先、一歩先、さらには遠い未来が見えてしまっていてもそれを配慮なしに伝えてはいけない。

大事なのは2つだ。

一つは、なるべくクライアントの後方(これは比ゆだけれど)半歩のところに位置して、クライアントから世の中や自身が置かれた状況がどのように見えるかを教えてもらいながら共有することだ。
「なるほどね。先行きが暗い感じがする。どうしたらいいかわからない。どちらを選んでもうまくいかない気がする」

原則としては先走って行って、「この先は安全だよ!」とか「どうせ、未来なんてどうなるのかわからないんだから思い切って勇気を出してやってみようよ」と言ってもクライアントは置き去りになる。
ただし、先走りも許される時や条件がある。
それがもう一つの大事なことで、カウンセラーが自分の視点や立ち位置、動きをキチンとクライアントに説明する、ということだ。

半歩一歩先に行くのはまずいと説明したけれども、せっかくクライアントと別の価値観や視点を得るチャンスがあるのを無効にするのはもったいない。
クライアントの立場や思考、気持ちや状況を理解した上で、「私から見るとこう見えるよ」「私が考えるとしたらこうするかな」「あなたとはちょっと違う価値観になってしまうけれどもシミュレーションしてみていいかな?」という風に区別をして細かに状況や設定を明示するべきだ。
でないと、クライアントは、「自分のことが分かってもらえていない」と感じると同時に、「このカウンセラーは健康で悩んでいないし能力もあるから言えるしできるけど自分には到底無理だ」と受け取る。

よく言われたり、カウンセラーが言ったりする「クライアントに寄り添う」とか「寄り添いたい」とかいうのは間違ってはいないし、心がけとしては大切だが、心がけ以上のものではなく、この次にどう考えてどう目の前のクライアントを支援するかという一手には結びつかない。
「寄り添う」ことの意味や意義を吟味して分解・分析して言葉や行動、メッセージにしなくてはいけないのだ。

半歩下がってクライアントから見た世の中を教えてもらうのも、断った上でクライアントの視点から離れた価値観やアドバイスを示すのも、ポイントとしては自分が発した言葉やアイデアの背景ちゃんとわかるように伝えるということが肝になる。
誰がどの立場から言うかによって言葉の意味やメッセージはガラリと変わる。

2011-08-04 08:00

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