今日のエントリは昨日の続き。
惨事ストレスを受けた人のケアでは、話させた方がいいのか、話させてはいけないのかというテーマに対する新仮説 | deathhacks
大きなストレスから回復するための手法として、人に話した方がいいのか、それとも話さない方がいいのかという controversy については、どちらが優れているというのでもなく、結局現場での「バランス」で調整するしかないだろうことは皆実は気がついている。
そこに科学的な根拠や担保を未だ見出せていないというだけだ。
カウンセリングにおいて、「バランス」や「リズム」というものを大切にしている私のメンターに昨日の仮説を披露してみた。
概ね賛同はしてもらえたが、さらに議論は深まる。
そもそも、話した方が良いとか、そうではないと、少なくともある時点で判断したとしても、その時に選んだ手段を実際に身につけていて使えるか否かという問題がある。
例えば、話を積極的に聞くとして、うまく話をするサポートができるか、危険を感じたらペースを変える感覚やテクニックがあるか。
例えば、話をしないでもリラクゼーションや身体感覚を通した「癒し」技法やストレスコントロール方を、知っていて、かつチャンと伝えられるか。
今回の論理を進めるならば、両者を持っていて初めて「選ぶ」ことができるということだ。
まず先に、使おうとする技法や therapy が決まっているというのでは対応の幅として狭すぎる。
それはあたかも、素人知識しか持たない家族がやみくもに慰めたり励ましたりするだけしかできない、あるいはどんな患者にもとにかく投薬をすることがルチーンになっている医療のようなものだ。
惨事ストレスの現場では今回考えてみているような臨機応変力というもの、そして準備や論理根拠が必要だと思っている。
2011-06-04 07:00
コメント