Twitterのなにが面白いか、のナンセンス

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Twitterの話をすると「やってて何が楽しいの?」とか「意味がわからない」と言われることが多い。
(少なくとも私の近くの「リアル」なコミュニティではそうだ)
あるいはブログでもそうだしFacebookでもそうだ。

一般の人から見て、インターネットなどがこれだけ普及しても未だなお、パソコンに詳しいのはマニア(あるいは「オタク」)という昭和時代の感覚が根強い。
直接のコミュニケーションが苦手、あるいは拒否して「パソコン通信」を通してだけ、文字などを通してだけ、他人とやり取りする社会不適合者的なイメージだ。
確かに、そこには人類や生き物としての歴史として見て「異常」性はあった(ある)のかもしれない。
あるいは「特殊」性か。

しかし、それらはどういう経過でか、作られてしまったイメージに過ぎない。
テクノロジー technology についての理解が不足している。
ITにしてもICTにしても、テクノロジー(技術)として考えるだけでなく、その上に載っている情報やコミュニケーションに注目するべきだ。

電話や手紙と同じく、その技術自体がメインではなく、コンテンツ(中身)、コミュニケーション情報が主たるものだろう。
インターネットを通したコミュニケーションが「不自然だ」とか「生身のやり取りではない」「心が通っていない」と断じるのはまったく非論理的だ。
そういう人たちでも「電話で話しても気持ちは通じない」(一理あるが)とか「手紙でやり取りするのは邪道だから直接会う以外の交流は『まがい物』だ」とまでは言い出さないだろう。

もちろん、直接に会う、スキンシップをとるなど、リアルにしかなし得ないコミュニケーションは存在する。
しかし、電話や手紙(というテクノロジー)も「リアル」を否定するものではなく、補完するものだ。
うまく「使い分ける」以上のものでもなく、以下のものでもない。
Twitterやブログ、Facebookを通したコミュニケーションも同じことだ。
ちゃんとした論評であれば、Facebookなども「リアルのコミュニケーションを加速する」ものだととらえている。

人や状況によっては、これらテクノロジー(電話からTwitterなどまで)の上だけでコミュニケーションが完結したり、そうせざるを得ない関係もあるだろう。
それを否定はできないし、する必要や権利もない。
また、別にブログやFcaebookを礼賛するものでもない。
それらが電話や携帯電話、手紙などと同じように根付き、信頼と市民権を得たインフラになるか否かは予想はできても確かには言えないからだ。

2011-05-18 07:00

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