言葉に敏感になろう、言葉にとらわれ過ぎないようにしよう

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カウンセリングでもメンタルヘルス教育でも、言語、話し言葉、書き言葉を使って、メッセージや情報を伝え、共有しようとする以上、そのツールについて良く知らなくてはいけません。
かと言って、言語学の専門家になるとか、法律や科学のように厳密な定義と解釈を研究するとか、言葉を使って”哲学する”とかいうのではありません。

例えば、我々は、うつやPTSDで見られるクライアントの事象を「反応」と表現することがよくあります。
一方、医療や心理職につく人としては、精神的なものにしても、身体的なものにしても、「症状」と捉える事柄が多くあります。
うつで、自分を責めるとか、人の目が気になるとか、死にたくなるとか、眠れなくなるとか。
PTSDで、突然事故の場面をまざまざと思い出してしまうとか、同じ場所に近づくことができなくなってしまうとか。

同じ(ような)事象を見て、それを「反応」と言うか、「症状」と言うか、これは我々の知る現場では、単なる言葉の違いに留まらず、クライアントに与えるメッセージが大きく変わり、カウンセリングや教育全体の印象や成果までを左右する可能性があります。
時には「裏のメッセージ」が含まれてしまい、良かれと思ってしている行為が、悪影響をもたらすかもしれないということです。

カウンセリングにしても教育にしても、その本質がコミュニケーションでありメッセージのコントロールであるとするならば、そのツールのディテール「だけ」にこだわるのは間違いです。
テニスで、一つ一つのショットのコースやスピード、精度は大事ですが、相手とのやり取りで生まれるラリー、そしてポイント、ゲーム、最終的には試合に勝つことが目標になります。
言葉にしてもメッセージにしても、何か絶対的な使い方やルールがあって、習った通りにしていればいつでも安心で間違いなし、というものではないことに気づきましょう。
それが、個人や他者としてのクライアントを本当にサポートすることにつながります。

2011-03-24 08:00

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