日常で、悲しい

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メンタルヘルス分野に関わるようになって、悲しくなったり、傷ついたりすることが増えています。
出来事とそれに反応するセンサーをコントロールはしながら。

飲み会で自分が特定の人や少数の人たちとだけ盛り上がってしまう。
そして目の端やまさに隣にいる人とも話題や笑いをうまく共有できない、でも自分が得ている楽しさが強烈すぎて、それを一端止めてまで乗れていない人に配慮できない感覚を持つことがあります。
あるいは、逆に単に自分の方が飲み会の中で浮いてしまっているとか。
「来なけりゃ良かったかな」
「自分は『要らない子』かな」
「早めに帰ろうかな」

電車に乗っていて、小競り合いから怒鳴り合いになっていき何か「事件」にまで発展するのではないかと思えるような場面。
そんなときには私だけでなく周囲の乗客にも緊張が走っています。
連れがいるような人たちはヒソヒソとそのやり取りについて話していたりもする様子です。
何も悪いことをしていないのに、ただ電車で新宿まで出かけようとしているだけなのに、偶々その時刻の電車に乗ってしまったばっかりに、緊張や不安、何かした方がいいのかなという焦りや忘れ物をして乗る電車がずれたばっかりに見なくても良いシーンを見てしまっているという後悔を感じ、結果としてストレスや疲労まで感じます。

教育やイベントに参加して、ある一部の人が自分のことばかりを優先して空気を読んでないようなとき。
参加者同士で配慮し合うという観点が乏しいような人たち。
一人でいくつも質問(大して的を得ていない、他のオーディエンスとその場やテーマを共有しようという意思が感じられないような)。
講師の注目をとにかく自分に集めようとして、他の人がコミュニケーションを取る機会をわがままに奪ってしまっている。
独占。
そんな場に参加していると、私としては「引いて」しまうし、わずかにあった自分としての質問や希望していた言動も封印してしまう。

別に、あまりにセンサーを高感度にしてしまうことによって、日常生活の中で支障をきたしているとかダークサイドに落ちかけているとかトラブルに突入しようと自暴的になっているとかそういうのではありません。

2010-12-05 08:00

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