軽い悩みの人にもカウンセリングが必要な理由

SDIM0772

元々健康な若者が骨折したとして、乱暴に言ってしまえば「放っておいても」治ります。
現代では骨折したならば、病院に行って、レントゲンを撮って、ギプスをして、痛み止めを飲んで、安静にして、治るまで定期的に通院するでしょう。
しかし、大昔、原始人の時代にはこれらの処置のうち「安静」にする以外のことはできなかったはずです。
それでも、元々「健康」な「若者」というような条件をつければ、現代でも原始時代でも大差ない時間と確率で治ったでしょう。

現代で骨折したときに病院に行って医療を受ける理由には、ちゃんと診断をつける、ギプスなどで保護する、重大な合併症などをチェックする、などが挙げられます。
それらは「あればあったでありがたい」要素ですが、治るのに必須というわけではありません。
それどころか直接に治るのが早くなるようなことは現代医学でもできません。

軽い悩みの人にもカウンセリングが必要な理由も同じような考え方ができます。
そのままでも解決したり、疲労しきってしまったりはしない確率の方がはるかに高いのですが、客観的なチェックやギプスのような保護のためにカウンセリングを利用すれば良いのです。
ケガを包帯やギプスで保護するのを「甘えている」とか「無駄・無意味だ」という風に言い切ることができないのと同じようにどんなカウンセリングにも意義があります。
それは「安心」とでも「気休め」とでも呼びたいように呼べばいいでしょう。

2010-09-07 06:00

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