後継者を決めるということ

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後継者選びは色々な問題を含みますが避けずにきちんと決めなければいけません。

後継者を選ばないままにしているとリソースを集中することができません。
後継者育成にあてる時間やエネルギーを分割してみんなに平等に与えていたのではきっと足りないでしょう。
それだと一代限りなら良くても二世代、三世代後への技術や知識の伝承のレベルが落ちると思います。

しかし誰かを後継者に選んで、伝達・育成・教育の集中をすると、そのことを妬んだり贔屓だと感じる人も出てきます。
選ばれたかった、自分が選ばれるべきだったと思い、がっかりする、落胆する人もいます。
なぜ自分が選ばれなかったのかと憤る人が必ず出てきます。

後継者を決めても決めなくてもいいではないか、一緒ではないか、と思うのであれば決めてしまった方が良いでしょう。
どちらにしても一定以上のトラブルや人間同士の問題が起こりうるのなら決めてしまった方が良いのかもしれません。

ただし、決める際に少しとはいえ、工夫の余地があります。
後継者の選び方に大義名分があるといいはずです。
大義名分はコンセンサス、合意です。
公募するだとか、多数決をして記録を残す、透明性を確保するというような「アリバイ」あるいは「言い訳」があるとだいぶ違います。
それを本当に公明正大にやってしまうことには、意図した結果と違ってしまうという結構なリスクもありますが。

民主主義国家の正当な手続きによって選ばれた議員や元首であっても結果的少数派は文句を言いますし、ミスや不祥事があれば支持していた人たちも掌を返します。
結果責任を取るのは大変ですし、辛い仕事です。生きているうちに歴史的に正当に評価されることは期待できませんし、期待してはいけません。

後継者選びには大義名分以外に多くの視点や理由がありえます。
フィーリングとして、まあ彼(彼女)が妥当だろうとする選び方。
当人(教わった人、その人の弟子など)の側の希望。後継者になりたいか否か。
母体があるとして、その組織としての人事管理、他の要素、他のルール・基準。
結局あとからしか正しさが判定できないし、正しくなるように皆で努力していくしかないというのが正しい理解である、後継者の「実力」「資質」「素養」など。

本人が望まなくても権威になってしまうとその後継者が公式にも非公式にも注目されます。
それは、そもそも後継者を選ぶのか選ばないのか、から始まります。

2010-05-16 9a.m.

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