勉強会の基本問題

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以下のTweetをしたら4favs+13RTsほど、いただいたのでもう少し書いてみる。

勉強会のオーバーヘッドにはいくつかある。場所の確保、参加者の日程希望調整、誰がマネジするか、など。これらが煩雑だと話が生まれないし、進まないし、続かない。勉強会の後学習もこれからは大事にしなければ。そのためのITツールか近年充実してきている。
@neti2
neti2

勉強会の内容・テーマとしてはロールプレイやスーパービジョンなどを含んだカウンセリング関連を想定してる。

場所の確保

  • 2時間から3時間程度、静かめの密室、というか隔絶された場所が欲しい。ロールプレイはやはり実践のカウンセリングと同じような環境でやらなければいけない。内容守秘の問題もある
  • 都内だと貸会議室(喫茶室ルノアールとか公共施設など)は割とある。値段が高くなると人数を確保しなくては割高になったり、会のモチベーションを下げる元になる
  • 予約・手配の手間も馬鹿にならない。最近はかなりWeb上から探したり、予約状況を確認できたり、申し込んだりできるようになってきているけど
  • 区なんかの小自治体などが管理する、優先使用団体なんかがある施設は制限があるわけだが安価なようだ。ただ実際の情報は地道に口コミや実見で探す必要がある
  • 会メンバーが元々の会社や団体の組織所属者とだいたい一致していて、カウンセリングというテーマが組織に理解されているならば、業務外時間に施設を使える。これは結構理想的
  • 特定個人の所有場所とかだとこれはまた会の開催に属人性の影響が大きくなりデメリット

参加者の日程希望調整

  • 結論から言うと、少数のコアメンバーが日程などを決めて、まず動かし始めてみるということを勧める
  • なかなか都合が合わない人も出てくるとは思うが、とにかく「会を開催すること」にこだわった方が良い
  • 飲み会ならば「皆やる気はあるけど時間が合わないねー」でいいかもしれないが、勉強会は成果を上げるべきものであって、まずやらなくては意味がない
  • 勉強会に、飲み会以上、仕事未満(あるいは仕事以上)の優先度でコミットできる人の比率次第
  • ツールとしては少人数でもメール、メーリングリストなどでは限界が低い。すぐ面倒くさくなる。元々の互いの連絡先の把握だけでも大変。Facebookのようにオプトイン(参加者個人からの要求→承認フロー)方式が良さそうなのでこれから試す

誰がマネジするか

  • 参加者全員がフィフティ・フィフティの同等で、アメーバ的に代替可能な立場と役割をするのが理想
  • マネジャー、ファシリテーターはなくてもいいや、と思いがちだが、その仕事自体は必ずある
  • 飲み会の幹事と一緒。ある程度以上の人数規模になれば、何かとだれかが取り仕切らなくてはいけない
  • マネジャーや幹事の労をいとわない人もいるが少ない。何かしらの利得を感じ取ったり、受け取れる人は確かにいる。しかし、これも属人性を高くしたくないのと、いつかその特定個人は「疲れた」ときなんかに会が成り立たなくなる
  • 持ち回り制なんかもあるとは思うが、結局仕切れない人は仕切れないし(個人に関する、時間・エネルギー・モチベーション・リソースの差異はいたしかたない)

まとめと私見と雑感

  • ノウハウ的には飲み会のセッティングと同じ。テーマとモチベーションなんかが違うだけ
  • 集まることのコスト、個人ごとのコスト、連絡コストをどれだけ下げるかが肝心
  • そのためには、人数を増やさない。ただし、参加者は多様な方が良い
  • ITツールの活用
  • カジュアルさ(いい加減さ)と勢いが大事。始めるにしても、続けるにしても、止めるにしても
  • Facebookグループなんかを使って勉強会の「ビフォーケア」「アフターケア」をすると良い
  • 理想として考えているのは、日常からやり取りや議論、学習を共同でしておく。リアルに会う必要があること(ロールプレイや緊要なスーパービジョンなど)について「勉強会」を開く。これは会議ミーティングの考え方と同じ

2011-07-09 08:00

スーパービジョンコーディネーターの課題など

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(関連エントリ)

カウンセリングのスーパービジョンをコーディネートする | deathhacks

  • SNS的な仕組みやチャットだけでなく、アバターなどの表情・キャラクターの活用は可能か?
  • 音声の併用。Skypeインフラはある。独自インフラを立ち上げるのは自組織や個人では実現性が低いので
  • スーパーバイザーの評価、ランキングの仕組み。レビューの妥当性をどう整備するか。ヤフオクの評価のイメージを参考に
  • ゆくゆくはカウンセリングにも適用を広げられる
  • 出会い系サイト化するような「ノイズ」への対策。実際には難しい。利用者による評価などでの淘汰を期待・促進する。登録者を掌握・統制する

2011-03-03 07:00

ペアカウンセリングの臨床研究へ – ペアカウンセリングその2

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  • ペアカウンセリングは、やはり興味深いし研究テーマになりうる
  • 研究として成立させるためには、堅く考えると倫理的審査が必要か?
  • 同一施設または同一のカウンセラーが、一対一のいわゆる従来のカウンセリングを行ったセッションとカウンセラーがペアで行ったセッションの比較
  • 途中での変更やリタイアの記録。従来法とペアの混在は許容する
  • カウンセリングの効果・成果判定はアンケートに依るしかないか?
  • アンケートはクライアントとカウンセラーの両者・両ロールに依頼
  • ペアカウンセリングによるクライアントからみた利点・欠点
  • カウンセラーとしてのスーパービジョン的効果および教育的効果

2011-03-02 07:00

スーパービジョンに上下関係は必要か

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カウンセリングのスーパービジョンには上級者が下位の者に指導するという前提があるようです。
しかし、上下関係の存在を絶対的な条件と考えて縛られすぎるのはもったいないように思えます。
「スーパービジョン」の元々の意味は指導や管理、監督というものですが、思考を止めて言葉や定義に従うことは必ずしも適当ではないのではないでしょうか。

スーパービジョンとして行われることそのものは、カウンセラーが、担当するクライアントケースについて振り返ったり、新たな視点を得たり、次回以降の展開を考察したり、不安を解消したり、気付いていない自分の価値観に気付いたりといった機能があります。
もちろん経験や技量が優れた、いわゆる上級者にスーパービジョンを受けたほうが得られるものは多いかもしれません。
しかし、十分訓練されたカウンセラーであれば、自分と同格、あるいは自分よりも経験の少ない同業者などを利用したとしてもそのケースについて新たな発見をしたり、冷静になったりする効果はあると思います。
(「格」の評価というものが難しいだろうということ、守秘をどのように考え扱うかという問題はあります)

また、スーパービジョンの責任はどのように考えればいいかということとも、この「上下関係不要論」に直結します。
スーパーバイザーとスーパーバイジーの関係がハッキリとした上下関係、指導・監督関係であるならば、そのスーパービジョンで生じた結果に関する責任はどちらにあるのでしょうか。
あるいはどのような比率で分担すればいいのでしょうか。

おそらく個々のケース、スーパービジョンにおいて明確な契約関係を結ぶことは少ないと思います。
(明らかな訓練・研修中のカウンセラーのそれを除く)
個人的には、いくら自分よりも目上・格上のカウンセラー・指導者に指導を受けたとしても、あるクライアントとの間で行われるカウンセリングの内容や転帰に関する責任は直接担当しているカウンセラーがすべて負うしかないと思っています。
もちろん、その中でさらにクライアントやその関係者との了解や契約によってその責任の範囲はまた変わってきますが。

今後の業界の趨勢やコンセンサスによって変動していくでしょうが、現在明確な基準や標準的契約形態や法律がない以上、カウンセリングそのものと同じくスーパービジョンにも画一的な定義を必ずしも当てはめなくても良いのではないでしょうか。

2011-02-13 09:00

(関連エントリ)

スーパービジョンをもっと自由に捉える | deathhacks

個人的なスーパービジョンの不安と憂鬱

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ケーススタディー(スーパービジョン)を1件した。
新しい角度からの視点を示せた。
スーパーバイジー(?)の満足度も高かった。
単に厳しいコメントや失敗のようなことを上げつらって攻撃し傷つけるようなことにもならなかったと思う。

しかし不安は残る。
その視点は良かったのかな?
良い感触があったからといって同じことを繰り返し言い過ぎてしまって、何か別の違うメッセージ(あまりにそれに注目しすぎたり、ひけらかしのように感じられたり)が出てしまったのではないか。

たぶんさらに上級の人にスーパービジョン(のようなもの)を受けるでしょう。
巡り巡って(善意ではないし、短い時間軸で善悪を判定はできない)人の考えがグルグルとつながるのだろう。
それが面白い。

2010-10-24 08:00

カウンセリングはカウンセラー自身との対決である

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カウンセリングはややもすると、クライアントの悩みや思考、非合理的な信念をいかにしてカウンセラーが打ち負かすか、切り崩すかという戦いの様相を示します。
それが行き過ぎれば、カウンセラーとクライアントの対決のようになってしまうこともあります。

長期化したクライアント、困難に思えるクライアントを抱えたときに、心理カウンセラーは「本当に相対しなくてはいけないのはカウンセラー自身である」ことに気づきます。

カウンセラーとして中級、中堅以上の技術や知識、経験を身につけたのならば、多くの種類の悩みやクライアントに対応することはできるようになります。
しかしそこで「理論や理屈としては分かっている適切な対応ができない」という問題が起きます。

  • 自分はカウンセラーとして十分努力して上手くやっているはずなのにクライアントは変わらない、満足しない
  • クライアント自身は少しも努力をしないように思える
  • カウンセリングがクライアントを甘やかしているだけかもしれないと思える。逆効果のことを手助けしている恐れを感じる
  • 生理的にそのクライアントが嫌になってきている

そんなとき、結局カウンセリングが上手くいくようにカウンセラーができることは、クライアントへの働きかけ(力動)というよりは、地道にやるべき対応を続ける、自身が落ち着くためにスーパービジョンを受ける、カウンセリング自体についてクライアントがどういう印象を持っているかを確認する、などしかないのでしょう。

カウンセラーは実は、やるべきこと、言うべき言葉、出すべきメッセージが分かっているのに、それを思考や感情に邪魔されていることが多いのです。
やるべきこと(現実原則)が分かっているのにそれが実行できないのは、もしかしたら目の前のクライアントではなくてカウンセラーであるあなた自身なのかもしれない、ということを常に心に留めます。

2010-07-10 8a.m.

(関連リンク)

クライアントに「変わらなくていいよ」と言うことはチャレンジである | deathhacks

カウンセリングのスーパービジョンをコーディネートする

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以前からあたためているアイデアとして「スーパービジョンコーディネーター(コーディネーター、SVC)」というものがあります。

「コーディネーター」は、担当するカウンセリングについてスーパーバイズを受けたいカウンセラーと、それを受けるエネルギー・時間・リソースがある人をマッチングさせる仕事をします。

臓器移植コーディネーターをイメージしてもいいかもしれません。あるいは結婚相談所や出会い系サイトやテレクラでもいいでしょう。
喩えたものはカウンセリングとはまったく違う内容と分野のものですが、どれも需要と供給はあるけれども、プライバシーや個人情報の匿名性保持の面などからオープンな市場をつくるのに工夫やその業に関する理解などが必要な点で似ています。

ただし、カウンセリングにおけるスーパービジョンの需要と供給は偏っていると思われます。
スーパービジョンを受けたいと思うカウンセラーは多いけれども、スーパービジョンを依頼できる相手もいなければ、十分有効なスーパービジョンをできる人材も少ないのが現状です。
「そんなことはない、私は教育や指導を受けた師(先輩)に、ことあるごとに相談している」というカウンセラーもいるかもしれませんが、それが本当に、必要なときに適切にスーパービジョンを依頼できる関係で、相手に実力があるとしたらとても運が良い方なのでしょう。
多くのカウンセラーは、遠慮や効果・利益に対する疑問から、適切にスーパービジョンを受けられる環境には無いのではないでしょうか。
私はこの「市場」について、需要は多いけれども、供給が非常に少ないと想像しています。

需要と供給がミスマッチしている原因は情報網・システムの欠落だと思います。それを補う役割がスーパービジョンコーディネーターです。
スーパービジョンを受けたくても目指す相手の都合が悪ければ利用できません。
逆に暇はあるけれども、スーパービジョンを希望する人がどこにいるか分からない、というスーパービジョンの能力を持っている人のリソースを有効に活用することができます。

それにスーパービジョンという機能には、特に技術や知識に関する上下関係、ヒエラルキーは問題とはなりません。
基本の考え方として、カウンセラーの思考を整理するための刺激を傍目八目的に得るためのものがスーパービジョンです。
カウンセラーのためのカウンセリング、現在進行形でカウンセラーの受け持つクライアントをテーマとする教育分析とも言えます。

スーパービジョンコーディネーターを企画するための問題点として、クライアントやカウンセラーに関する情報の機密性や秘密性を保持することが可能かというものがあります。
また、サービスの需要者(カウンセラー)と供給者(スーパーバイザー)が互いに相手の状況やある程度の経歴、技術レベルを知らないと、まず信頼関係、コミュニケーションを構築するのに時間と労力がかかりすぎてしまうという点も挙がります。

つまり、一定以上にリソースが多く(スーパーバイザーを多く抱えて管理している)て、カウンセラーの技術や知識も一定程度以上であり、上記のような前提を理解した上でのスーパービジョンを了解できないと、組織的にこのコーディネート事業を実現することは難しいでしょう。

2010-06-20 8a.m.

※このエントリは以前別の場所に書いた記事を書き直したものです。

自分がカウンセラーに向いてないと思うのは自分と理想が合致していないだけ

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基本的には、のほほんと色々コントロールしながらカウンセラーをしています。
日本の心理カウンセラーは特権や権威がない代わりにカジュアルで責任の範囲が狭い仕事です。それでも置かれた立場やクライアントによっては大きな影響を与えることがありますから様々な道義上の義務が生じます。

私も自分がカウンセラーに向いていないと思う時は断続的ですがしょっちゅうあります。
例えば、自己を分析すると、細かい部分にこだわりすぎ、理詰めに考えることを好む性質があるので、どうもそれとぶつかるような価値観や対応とは相性が悪くなります。
また、言動がトリッキーというか、アマノジャクな指向性があって、「わかりにくい」「からみにくい」と評されることがよくあります。

これらの性質は、自分と同じように何かしらのこだわりを持つクライアントに向かって私が「こだわりすぎる部分」を指摘するのに抵抗を感じる基になったり、リアクションを読みにくくてクライアントが安心を感じる妨げになったりという原因になります。

しかし、このように自分のカウンセラーとしての資質に疑いを持つこと、カウンセラーに向いていないのではないかと心配することに、自分の頭の中だけ、自分だけで答えることはできないことも理解しています。
また、この不安は単に自分「だけ」、自分「独自」の「理想的なカウンセラー」と自分が合致していないだけなのかもしれません。
人の性質はいろいろで人生もいろいろですから、およそあらゆる種類のカウンセラーやカウンセリングのニーズは存在しています。
もちろん仕事としてカウンセリングをするのであればできるだけニーズに当てはまるように「打率」を上げる工夫を常にしなくてはいけません。

カウンセラーには世の中、世間におけるあらゆることに関してのバランス感覚が要求されます。いわゆる「普通」の感覚、「常識」です。
バランス感覚は訓練でまあなんとかなることが多いと思います。
またスーパービジョンやリファー、家族や職場、医療との調整などで、クライアントだけでなくカウンセラー自身の置かれた状況も認識して調整・対応しなくてはいけません。

2010-05-13 6a.m.

カウンセリングでスーパビジョンを受けるべき3つの理由

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カウンセリングをするカウンセラーが、自分が担当しているケースについて自分よりも経験や知識が豊かな上級のカウンセラーなどに相談し、指導・アドバイスを受けること、すなわち「スーパービジョン」を積極的に活用する利点にはどんなものがあるでしょうか。
ここではそれを3つ挙げます。

カウンセラー自身の承認欲求を満たすため

一つめの理由は、カウンセラー自身がカウンセリングについて他者から認めてもらうためです。
心理カウンセラーの仕事にはクライアントと話した内容などについて、秘密にする義務が契約上および倫理上の理由から発生します。
カウンセリングをすることによって何らかのエネルギーを消費します。その成果がすぐにクライアントに表れて、そのフィードバックをカウンセラーが受けることは必ずしも期待できません。
いくらか、または完全に関係の離れたスーパーバイザーからケースについてのフィードバックをもらうことは、カウンセリングの内容にうまく合うかは別として、カウンセラーの行為に対する承認欲求を満たす手段の一つなります。
カウンセリングを純粋な善意からしているなどの特殊な状況がないならば、消費したエネルギーの補給としてなんらかの満足感や達成感を合理的に得る必要があります。
「とにかく、お疲れさん!」のひとことでも十分な承認になるかもしれません。

ケースやクライアント、そしてカウンセラー自身を客観視するため

スーパービジョンを受けるべき二つめの理由は、ケース全般について客観的な視点をもらうためです。
多くのカウンセリングケースはクライアントとカウンセラーの一対一で進行します。
カウンセラーは常に、クライアントが抱える悩みなどについて自分の価値観と照らし合わせざるを得ませんが、それに伴って色々な感情がわき起こります。
カウンセリングでは、カウンセラーがクライアントの問題や気持ちに「巻き込まれ」ないように注意するとされますが、まったく「巻き込まれ」ないということを感情を殺すこととしてしまうとクライアントとの関係(リレーション)
やカウンセリングそのものが成立しなくなります。
クライアントに巻き込まれ「過ぎない」のが理想なのですが、この紙一重の判断は上級者でなければ現場でいつも適切にすることが難しい話です。
そこで、何も現場以外でまでも一対一の孤軍奮闘にこだわらず、第三者であるスーパーバイザーの意見をあおぐ機会が有用なのです。
人間が左右のバランスを取ってまっすぐ歩くことは、経験と勘を合わせれば、目をつぶっていても可能でしょう。しかし、目を開けて周囲の様子や離れた場所の目標が見えればよりチャンと動けますし、みすみす気づけるはずの危険に入っていくことを避けることができるかもしれません。スーパービジョンはそのような外界情報の一種なのです。

最終的に社会と折り合うため

スーパービジョンを受けるべき理由の最後三つめは、クライアントが最終的に戻らなくてはならないだろう社会との折り合いをつけるためです。
結局カウンセリングをして、その場での問題の解決や悩みの解消の「感触」が得られても、ほとんどの場合それをそのまま元の所属する社会や組織に持ち帰ってうまく適用したり適合したりできるかわかりません。うまくいかない方が多いのではないでしょうか。
そこでカウンセリングの終わりに近づくほど、カウンセラーはプロとして、クライアント以上に広い視野が求められます。そしてその見えたものをクライアントに提示して戻す役目を果たさなくてはいけません。
言わばそのクライアント専用の「プチ」社会を演じる必要が出てきます。
その演じる社会は実際のものとできるだけかけ離れていない方が良いでしょう。しかし一人のカウンセラーそして上級者でなければその演じる社会に限界や不具合が出やすいため、外部の力、スーパービジョンという機能を利用するのが好ましいのです。

まとめ

以上、カウンセリングをする上でスーパービジョンを受けた方が良い理由を3つ述べました。
「スーパービジョン」という言葉はカタカナのまま使われることが多く、うまく日本語に訳され解釈されているとは言えません。
その意味や実践を学ぶにしろ教えるにしろ、十分カウンセラーが自分の中で考え消化した方が良いでしょう。

2010-05-07 7a.m.

カウンセラー泣かせのクライアント役とか言われても理解に苦しむ

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以前私がカウンセリングの実技評価試験のクライアント役をしたときの受験者から、ロールプレイ演技がすごすぎて驚きましたとか、慌てましたとか言われたのですが片腹痛く思います。

自殺念慮をも持っているようなクライアントへの対応をテーマにした実践的な試験ですから緊張度が高かったのは確かでしょう。
もしクライアントの演技にリアルさを感じたのならば、またとない良い機会です。試験という場ではありますが、実際の現場以外で自分の力を試すことはめったにできないからです。カウンセリングの訓練や経験の多くは現場で積むしかないのが実状です。

われわれとしても教育と試験が、内容として合致し連続するようにしています。実際のクライアントは試験でのロールプレイのようなものだと考えていますし、元々そのようなテーマ・想定で学習したはずです。それで試験で、驚いたり、思ったようにできずにショックを受けてしまうのは練習または実戦が足りていないだけです。

もちろん、試験でのクライアント役によっての違いなどは採点・評価において十分に加味し調整されているので、試験としては質を保っています。

このように「クライアント(役)が難しすぎた」と考えるのはなぜでしょうか。
一つには、そうして他人(外部要因)のせいにした方が自分の気持ちが楽だからです。失敗や不出来を認識してもそれについての自分の責任を軽くすれば対処しやすくなったり、諦めがついたりします。
責任についてのこの認識は自分に向くと、疲労につながります。メンタルヘルス不全やうつにもつながりますし、極端に場面や事象と結びつけば適応障害やPTSDになるような仕組みと共通する部分があります。

原因のもう一つは自己観察の不足です。訓練でも実戦でも、カウンセリングの良悪やクライアントとカウンセラー自身の心理などを常に観察し考える必要があります。
その観察やそのための経験・技術・コミュニケーションが足りないと、成功についても失敗についても、原因を内外に求めるバランスが悪くなります。

試験やカウンセリング現場で考えること、学べることにはキリがありません。その評価は続けていかなくてはいけませんし、自分自身と他者をうまく利用していく必要があります。

2010-04-27 7a.m.

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