危機介入のプラスとマイナスをトータルで考える

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惨事後や危機での組織介入をチームを都度編成してやっている。
心理学的、あるいはケアやサポートとしての(ある程度純粋な)技術としての面だけでなく、インフラやロジについてもプロフェッショナルでなくてはいけない。

自分や近場の仲間の経験としては過去には、この部分はあまり問題にならなかった。
その介入が、自分らと同一の組織内のものであったり、ノウハウの蓄積がまだない中そこまで注意を向けることが難しかったりなどしたからだ。

しかし、インフラやロジも、その介入全体の成否を決める重要な要素であることは確かだ。
「成否を決める」ということは、状況によっては一見して活動の主なものではないと思っていた部分の誤りや不具合によって全体の評価がマイナスになることがありうるという意味だ。

インフラの例として、例えば介入を受け入れる側が順番に複数人に対して面談を希望し、そのプログラムを実行するとして、その順番をコントロールするための計画や呼び出し、連絡などについての仕事量は少ないものではない。
しかもこうした危機介入の場面では、その仕事における緊張度はとても高いだろう。
誰がこの仕事をするにしてもその人員のエネルギーや時間のコストは大きい。
コストがかかるということは、最終的に成果が上がりさえすれば無限にそれらエネルギーなどを費やしても構わないわけではない、ということだ。

また、介入が(スタッフからみて)遠方であったり、複数日間にわたり行うものであったりすれば、そこにはロジとしての食事や宿泊などが必要になる。
これらを、提供されて当然のもの、技術的プロとしてその面は無視して誰かしら他人に任せてしまえばいいものという思考や習慣があれば、これもまた活動の全体評価を下げる可能性がある。

これら以外にも、現場のニーズや雰囲気などを事細かにインタビュー「しすぎ」たり、不適当なほど広範囲の人員をサポートの対象に取り入れ、アンケートや心理的事項の教育などのコストを増やし効率を落とすようなバランスに結果としてなるということは十分にあり得る。

良かれと思って、現場も介入スタッフも多大な労力や時間を使い、トータルとしてはマイナスの成果や感情を生むことがありうるのが危機介入だ。

そのような「失敗」や「サポート提供側の自己満足」減らすためにはいくつかの視点が考えられる。

  1. 常にクライアント(組織)との認識を近づける。コミュニケーションを重視する。やれば必ず良い、かつ即効性がある活動はないことを知る
  2. 介入によるプラスとマイナスを常に計算する。全体のバランスを見る。チーム介入しない方が良いことはいくらでもある
  3. コストがかかるとは言ってもそれは正当なものと考えられる。お金で解決できる問題や障害であれば金銭で処理するという選択肢はある。お金で時間やエネルギー、安全を買うことはおかしなことではない

特に2で挙げたようなやらない、という方針をを積極的に選ぶという考え方、そしてそれがクライアントにも説明でき納得してしまえるような能力・技術も危機介入に求められるものの一つだ。

2012-01-11 11:00

介入前ミーティングは「売り込み」の場だ

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自殺や事故などが起きたとき、その組織から介入の打診があったとして、最初のミーティングは「セールス」の場だ。
正に「売り込み」のチャンスと考えていい。

「セールス」や「売り込み」という言葉を使ったので、何かこう、顧客・クライアントが本当は望んでいないモノを売りつけるような印象を持つかもしれないが、そのような旧いタイプの商いではない。
当然のことだが、売る側、買う側の両方にメリットがある話だ。

いまどきのセールスノウハウとしては常識だろうが、売り込みで重要なことは、商品の「長所」や「安さ」ではない。
その商品を買うことによって「いかに顧客の困ったことが解決するか」「どのように生活がすばらしいものに変わるか」といったことをプレゼンしなくてはいけない。

車のセールスで例えれば、売ることができる車種が「いかに楽に速く加速するか」「燃費が良いか」「デザインが格好良いか」「安いか」「色やオプションが多彩か」を得々と説明することばかりに注力するのは、単なる自分本位だ。
うまく「売り込む」には、その車を買うことにより「今の生活や人生がどのように良くなるか」をアピールする。
初めて車を買うのであれば、ドライブや買い物の楽しさをイメージしてもらう。
買い替えであれば、家族がさらに仲良く暮らせるきっかけになるような車を提案する。
顧客が本当に希望している生活を達成するために必要なアイテムが実は車では無かったら、積極的な売り込みを止めることすらあるかもしれない。
夫が一人でセールス対応をしているとして、彼に説明するべきなのは車の特徴だけではなく、妻へのアピールポイントや説得方法ということもある。

メンタルヘルス、とりわけクライシス(危機的状況)への介入をチームで組織的に効果的に行うには、まず顧客・クライアントの状況を知らなくてはいけない。
いわゆる「ヒアリング」が最初に必要だ。
もちろん、車とも同じで商品の「スペック」も説明する必要はあるし、それなしで誠実なビジネスはできない。
しかし、そのような「スペック」「特徴」「他者の商品と比べた利点(あるいは他社製品の悪口)」は決して第一優先事項ではないことを知ろう。

通常の個別カウンセリングで、カウンセラー側の理論や知識、アドバイスをシャワーのようにクライアントに最初から最後まで浴びせ続けてしまうようなチグハグをしないよう、状況や人数が違う場合にも参照・応用した方が良い。
先に、クライアントへ「今困っていることは何ですか?」と聞いてみよう。
この質問で、少なくとも「『クライアントが』何を今一番の問題だと思っているか」や「何が問題なのかすらよくわからない(くらいの状況だ)」ということなどがわかる。

2011-09-04 07:00

組織介入においては単純に守秘すればいいわけではない

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ある組織で事故や自殺が起きたとき、または災害に見舞われたときなどに、外部から惨事に対するメンタルサポートをチームとして提供するノウハウはまだ一般的なものはない。
チームサポートの存在自体がまだ一般的に知られていないということと、日本でその重要性や必要性が認識されたのが最近の十数年であるからだ。
具体的には阪神淡路大震災以降ということになる。

外部組織がチームとして介入サポートをする場合、そして教育や情報提供だけでなく、個人へのいわゆるカウンセリングをする場合に、「秘密」の取り扱いが一つのテーマになる。
旧来のカウンセリングの原則としては、たとえ組織が主導した場とは言っても、その組織所属の個人とカウンセリングで話した内容については秘匿することになる。
しかし、はじめに書いたように、この分野や活動はまだ過渡期であり、社会も常に変化してきている。
ある程度、型が決まってきているように思われることもあるカウンセリングと同じく、現場や個別ごとのアレンジや応用の範囲は広い。

何か重大な問題と状況を抱え、しかもそれが周囲に知らされていないようなクライアント個人と面接をした場合、その人の秘密(共有されるまでは秘密のままだ)やカウンセリング内容、フォローアップをどう扱えばいいだろうか。
介入を依頼した組織としても、とにかく色々な情報を欲しいという実状がある。

「面接で、ウチの社員はどんな様子でしたか?」とか「注意して観察しておいたほうがいい人はいませんでしたか?」とかいう質問を担当責任者からされたときに、「いや、カウンセリングで話した内容は守秘することになっていますから!」という古典的な応対は現在は難しいし、現実にそぐわない。
かといって、何でもかんでも組織と共有してしまうという風に簡単にはいかない。
バランスを取ることが必要になる。

「こんな問題を抱えている人がいました」とか「かなり疲労しているけれども表面的には出していない方がいました」というように概略だけを伝えるやり方もある。
ただし、具体的個人名がないまま、この内容だけを話すと、相当に理解があり、責任能力がある人が担当者でない場合に、単に心配事を増やしてしまうことにもなりうる。

困っている個人にも説明し、理解してもらった上で、組織に対しても説明して、この先協働していく方向に持っていくのが、一番理想的かもしれない。
しかし、個人が内心や秘密を守りたいという意思があれば(それがたとえ冷静で適切で論理的なものではまったくないとしても)それを貫く権利はある。
介入者がプロフェッショナルであっても、組織に管理責任があったとしても、押し付けることは難しいし、実際にはその問題の内容によって境界はあいまいで定型的に判断することはできない。

個人には内緒にしたまま、組織・担当・責任者には、情報を伝えるという手もなくはないが、もしもそのことが明るみに出た場合を考えるとリスク高い。

組織への介入については、これまでに学術的な議論や研究はされてきているが、日本で現状に即した情報は少ない。
これは、個人に対するカウンセリングや契約とはかなり違うということを認識しておかなくてはいけないということだ。
相手も組織で複数あるいは法人格(など)、サポート側もチームであったり能力が様々であったりする。
現場では、通常のカウンセリングやサポートと同じで延長線上にある部分と、そうではない部分をチームの全員が高いレベルで理解していなくてはいけない。

2011-08-28 09:00

自殺した人を非難してみる

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自殺が起きた後に、周囲の個人と面談して話すときに、十分聞けているか、「味方」になれているか、信用されているかを確かめる方法がある。
自殺で亡くなった当人を少し非難してみるのだ。
明らかな悪口を言うというまでではなく、多少「あきれて」みる。
個人の人格を否定するというのではなく、自殺という行動を取ってしまったことを、面談者の苦しさや辛さベースで説明して振ってみる。

これは管理者や専門家などが公の場で発言するのとはまったく意味合いが違ってくる。
そのような場合には、聞いた者は自己保身的な匂いを嗅ぎつける。

個別の、原則としては守秘を伴う場での会話は別物だ。
十分に情報や状況の把握ができているのならば、第三者としての正直な感覚をぶつけて反応をみてみる。

これは、秘密が守られる場所で、面談者が自殺した当人に当然感じているであろう怒りや伝えたかった思いなどを言うことを許すことにもなる。
実は感じている、考えていること、でも皆の中や前では言えないことを表現させてやる。
こういったことを建前として話せないことも自責の原因になっている可能性がある。
その自責感を緩めることにもつながる。
そうしたことを考えてしま「っても」当たり前であると支持することもときに有効である。

2011-06-29 07:00

そもそもあなたは惨事ストレスケアの手法を選べますか

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今日のエントリは昨日の続き。

惨事ストレスを受けた人のケアでは、話させた方がいいのか、話させてはいけないのかというテーマに対する新仮説 | deathhacks

大きなストレスから回復するための手法として、人に話した方がいいのか、それとも話さない方がいいのかという controversy については、どちらが優れているというのでもなく、結局現場での「バランス」で調整するしかないだろうことは皆実は気がついている。
そこに科学的な根拠や担保を未だ見出せていないというだけだ。

カウンセリングにおいて、「バランス」や「リズム」というものを大切にしている私のメンターに昨日の仮説を披露してみた。
概ね賛同はしてもらえたが、さらに議論は深まる。

そもそも、話した方が良いとか、そうではないと、少なくともある時点で判断したとしても、その時に選んだ手段を実際に身につけていて使えるか否かという問題がある。
例えば、話を積極的に聞くとして、うまく話をするサポートができるか、危険を感じたらペースを変える感覚やテクニックがあるか。
例えば、話をしないでもリラクゼーションや身体感覚を通した「癒し」技法やストレスコントロール方を、知っていて、かつチャンと伝えられるか。

今回の論理を進めるならば、両者を持っていて初めて「選ぶ」ことができるということだ。

まず先に、使おうとする技法や therapy が決まっているというのでは対応の幅として狭すぎる。
それはあたかも、素人知識しか持たない家族がやみくもに慰めたり励ましたりするだけしかできない、あるいはどんな患者にもとにかく投薬をすることがルチーンになっている医療のようなものだ。

惨事ストレスの現場では今回考えてみているような臨機応変力というもの、そして準備や論理根拠が必要だと思っている。

2011-06-04 07:00

見ていたプレゼンを同じようにできない

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何事も「学ぶより真似ろ」と言う。
世の中のアイデアや発明はすべて既存のものの組み合わせだとも言う。

今回、自殺のポストベンションの一つの要素である、IES-Rの結果と経緯の説明にてついて、チームリーダーのプレゼンを見た後に、別の場所で別の対象者に説明する機会があった。
教育でも、カウンセリングでも、他人のそれを見た後には、感じ方はさまざまだと思うが、内容的に十分理解できたときには、自分がもう一度それをトレースして再現することに難しさは予想しないのではないか。

私も正に今回についてはそうだったのだが、やってみるとボロボロ(自己評価。一対一の状況だったので)。
リーダーのプレゼンを100点としたら30点くらい。
それでも紙資料は同等のものをそのまま使ったし、内容的には目新しい、聞き手が知りたかったり、発見があるようなものだったので、良い感触で終えることはできた。

まだまだ、根本的なスキルが足りないのか。
理解が足りないのか。
テクニックの問題なのか。
真似や模倣の精度が低いのか。

プレゼン自体がリーダー向けにカスタマイズされている部分があるとは言え、誰がやっても大筋は大きく変わらないし、チーム活動としては変えられない。
その中で、自分個人のスキルの確認と向上を考える機会だった。

2011-04-27 07:00

自殺のポストベンションでカウンセリングは必ずしも有効ではない

朝食バイキングなう。

自殺が起きたとき、その周囲の人や組織のためにカウンセラーやケアチームを呼ぶとする。
一般の感覚では、影響を受けた人すべてにカウンセリングを受けさせる(受けてもらう)のが最善なような気がする。
しかし、それはセカンドベスト以下である。

自殺が起きたときの周囲の反応として多いものは「なぜ自殺したのかわからない」という疑問と「気づくことができなかった」という自責感だ。
それを個別カウンセリングで一人一人に対応して解消することはとても難しい。

もちろんカウンセリングのようなことはする。
私たちも個別の面談を必要な限りにおいてはする。
ただしそれは癒しやケアのためというよりも情報収集のために行う。
調査や取り調べにはならない配慮とコツを踏まえながら。

そして自殺の経緯や背景、対策や提案などをまとめ、適切な範囲の対象に「説明」をすることにしている。
自殺をする人間の心理状態や疲労による気持ちや行動についての変化を説明することによって「なぜ自殺したのか」という疑問に対する答えを解き明かせないまでも
一つの見方として提示する。
「気づくことができなかった」理由を参考として話す。
自殺には運命的な要素が大きいため、次の発生を予測して予防するというよりは、普段の地味なストレスマネジメントやコミュニケーションの工夫が有効であることを示して自責感を緩める。

これらの活動が自殺が起きた組織やグループに対する癒しやケアの第一歩となる。
カウンセリングや個別の悩み・反応などへの対処は2番目以降の着手にするのが良い。
このノウハウが有効であることを経験的に証明している。

2011-04-22 07:00

震災被災者の心理をサポートする視点 – 東日本大震災26日目

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伝聞でしかないのだけど、今般の災害に被災した方々の一つの気持ちのありようは、「今のことしか考えられない」「目の前のやることをやらなきゃ」というものだという。
発災当日からの激動の危機や生活の変化がはっきりと思い出せなかったり、それほど遠い先でもないと頭ではわかっているのにこれからの生活の立て直しや諸々の手続きなど進んで向かえなかったりといいたことなのかもしれない。

もしも、そのような状況の人たちを心理的にサポートするのならば、「今だけに目が向く(向いてしまう)」ことを専門家として”解釈”してあげる必要があると思う。
過去にしろ将来にしろ、ある程度の長さの時間感覚で振り返ったり、見通したりするのは、実はとても高度に頭脳が発達した人間の特徴だと言える。
いわゆる平常の日本の生活ではそれで問題は生じにくい。
むしろ、過去の自分の一生を省みて何か有益な発見をしたり、10年単位で自分の行く末や死について思いめぐらせたりということは人生を豊かにする一つの標準的姿勢かもしれない。

しかし、生死の境をさまよったり、自身や家族・知人の生命の危険を脅かされたり、財産をなくしたり、衣食住もままならない状況、あるいは情報の乏しい状況などでは、原始的生き物としての本能から言って、時間的に「長い目」で見ることができなくなることは当たり前のことなのだ。
つまり、そのような心理的反応を「防衛規制」と考えてみることができる。
身体あるいは精神は、そういった反応をする(している)ことにメリットがあるということになる。

プロとしては、他の、うつやPTSDなどと同じようにある一定の解釈を適切に、情報やメッセージとして提供することが求められる。
もちろん、単純に話や表現を聞く、共感をするというのも場合によっては有効かもしれないが、大事なのは「支援者自身のため」に共感することではない。
その微妙な距離感を失うとそれは「同情」というややネガティブな状態になるかもしれないし、感情転移に気づけないということにもなりうる。

大事マンブラザーズバンドの歌にも「そこにあなたがいないのがさみしいのじゃなくて、そこにあなたがいないと《思うことが》さみしい」という歌詞があった。
そんな微妙な距離感、違いなのだと思う。

子どもでも大人でも、何か大きな困難や心配事、悲しい出来事などに出会ったりすると、わざと自分を追い込んで忙しくしたり、がむしゃらに頑張って自ら余裕をなくして乗り切ろうとすることがある。
それ自体は短期的には必ずしも悪い面ばかりではない。
プロがそれを見たときには、客観的に間違いを指摘したり、否定したりすることが最初には来ない。
当事者とは違う角度、視点、時間感覚から、その状態のメリットとデメリットを考え、適切なときに適切なやり方でサポートするのが仕事になる。
違いは、当人がそういった自分の気持ちを意識して半ばわざとやっているのか、災害や危険・困難に対面して思考や感情が「勝手に」そういった状態になっているのかということである。

例えば、時期を見て、心理的な事象についての情報提供をする、行政や医療などの連携できる資源とつなげるなどである。
ある一定期間、一定の時期には、防衛規制や極端なコーピングスタイルも有効ではあるが、今回の災がではそれがあまりに長期間に及び、うまく生活が立ち上がったり、行政や支援のサービスが提供されても、それと被災者個々の心理的復帰のタイミングが合うかは正に個別のデリケートな課題になる。

2011-04-06 07:00

答えは「現場」にしかない

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うつや惨事ストレスを「勉強」すればするほど、「研究」すればするほど、支援者は「あなたの感じ方(症状)は、これこれだ」「PTSDになる可能性がある」「ASDだ」「人に話しなさい」「お酒は絶対ダメ」「死にたいくらい辛いのも当然だ」という説明・解釈・情報提供ができるようになります。
それ自体それぞれは、科学や医学、社会全体としては正しかったり、適切だったりするものでしょう。

しかし、自殺や事故の「原因究明ではなく」、当事者やサバイバー・遺族を「支援」することを第一義として考える位置に立つのならば、正しいor正しくないという判断を均一に同じ論理(ロジック logic )で扱うことを最終目標とすることは妥当ではありません。
それは、非科学的・非論理的なスタンスかもしれませんが、扱うテーマや視点を「幸せ」「生きがい」「人生の意味」と割り切るならば、それこそ「あちらを立てればこちらが立たず」の世界でしょう。

人が死ぬような事故があったとして、ある遺族はその死に社会的に有意義な意味付けをして納得することによって弔います。
一方、ある遺族は関係者や組織、ひいては社会全体に対して不信を抱き、攻撃や批判、改善をすることが自分の義務だと理解します。
これらにはそれぞれの立場や物語(ストーリー)があり、どれが一番良いとか悪いとかいう議論はできませんし意味が無いでしょう。(それぞれの人の自分の物語以外に対して)

メンタルヘルスやカウンセリング、惨事ストレスケア(サポート)の業界においては、「答えは『現場』にある」というよりも「答えは『現場』にしかない。当事者・関係者のそれぞれ『個々』の中にしかない」と感じています。

2011-01-19 07:00

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