僕はモラトリアム人間だと言われる

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近年よく「モラトリアム人間だねぇ」とか「モラトリアムをもう止めたら?」とか言われることが重なっている。

「モラトリアム人間」が何かと言えば、どうも小此木啓吾先生が著書の表題にもしているくらいの、いわば“由緒正しい”言葉であっって考察や研究の対象にもなる。

どこの党派にも、どの組織にも帰属感をもたない、無党派、脱管理社会、若者文化志向の万年青年的な心性の持ち主

らしい。

ただ、どうして僕がそういった性質や人格を持っているのか、どうしてこうなった、のかについては個人的に考えていくつもり。

一つには、僕の体験した臨死体験、がある。
もう一つには、天の邪鬼気質、が絡んでいると思う。

ライフワーク的とらえ方を今の時点ではしている。

2014-01-09 22:00

小此木啓吾 – Wikipedia

あまちゃんと紅白歌合戦と精神分析

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あまちゃんを今さらながら年末の10時間総集編を途中まで見つつ、紅白歌合戦のスペシャルドラマに備えた。

あまちゃんのストーリーの軸の一つに母娘の関係がある。
それはそれで精神分析的考察の対象だ。

それとは別に紅白歌合戦内のあるシーンは興味深かった。
能年玲奈演じる天野アキがスケッチブックに描いたところ。

  • 能年玲奈が描いた自分を模した海人を「あたし」ではなく「アキちゃん」と呼んだこと
  • 描いたその海人に顔、というか目鼻が無かったこと

この辺りはキャラと演じ手の関係性や人格・性質などが表れていると思う。

2014-01-02 21:00

アイデンティティというお題が出て考えたこと

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「アイデンティティという言葉を聞いてどんなことを考えますか?」というテーマがあった。

アイデンティティについてのあるなしを考える人もいれば、自分のアイデンティティ(の基になるもの)は何かを考える人もいる。
そもそもアイデンティティとは何かということを考察する人も多い。

「あなたのアイデンティティは何ですか?」と問われると、仕事、職業、あるいは勤務所属する会社や団体のことが頭に浮かぶ人が多いと思う。
しかし、今の僕であれば自分が含まれる仕事や会社、グループのうちの、ある一つを思い浮かべるということはない。
根無し草のように、いいかげんに、自由に、その日暮らしくらいの気持ちで、フラフラと生きてみたいと考えて実行して2年くらい経ち、まったくと言っていいほど反省や後悔をしていない。

自分の今のアイデンティティと言うならば、いくつかフワフワと適当に所属しているグループやら趣味やら友人やら勉強会やらSNSやらこのブログのエントリやらを総合して、自分なり他人なりが感じたものがそれだと思う。
そのアイデンティティは当然ながら見る人や持っている情報の質、量によって違ってくる。
自分の見方と他人の見方が一致するということの方があり得ない。

かくして、自分が何なのかという質問には大変答えにくい。
フリーターだとか返してしまうことが多い。
こうした答えは決して質問してきた人を煙に巻くとかおちょくるとかの意図はないのだけれども、何かシャキッと会社名とか職業名とかの分かりやすいラベルが返ってくることを期待している人は戸惑ったりイラッとしたりするのかもしれない。

2014-01-01 18:00

精神分析に近づくことで自分に起きた2つの変化

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精神分析に近づいた、と言っても精神分析家を目指すことを決めたというのでもないけど。

精神分析「的な」考え方を少し学んだせいで、日常や自分の思考の中に変化があったように思う。

1つめは、人間が恐ろしくなったことだ。

元々、自分が信用できないのと同じく他人を信用したり信頼したりはできないものだよなーという最近数年で自分の中に育まれた価値観がある。
それだけでなく、精神分析やケースを通して、普段街なかを歩いていても、行き交う人の顔や言動を見ると、何か恐ろしいことを考えている人が少数ながらある割合で生活しているということを意識してしまう。
できることは、自分がそれに巻き込まれることが一生のうちでも確率的にだいぶ少ないだろうとなんとか安心するようにするだけだ。
逆に、これまで不可解だった他人の言動にある種の説明をつけることができるようになって安心できることもあるので相殺されるのだけど。

2つめは、自分の直感やフィーリングを信じるようになったことだ。

とは言っても、ここ数年、自由にしているので、すでに実践していたとも考えられる。
ただ、その行動や選択、決心に至るまでの迷いや自信に与えられた変化は少なくない。
要は、感じたことを言うことに迷いが減り、フィーリングに従って割りとすぐに実行でき、後悔が少なくなった、ということだ。

失敗が大好きになった。

2013-10-01 17:00

専門用語を作り使うこと

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専門用語、あるいは内輪語、仲間内だけで通じる言葉を作り出し、定義し、その上に議論や研究をすることには良し悪しがある。

たとえそれが、表そうとすることが、すでに存在する一般概念や他業種、業界での言葉と似ていたり、ほぼ同じだったとして、それをそのまま使ってしまえば、関係者が理解するのにかかるコストを減らすことができる。

逆に、そういった用語の転用・応用をしなければ、コストはかかるが微妙な違いや誤解を招くリスクが減る。

精神分析における「コンテイナー」「コンテインド」などにも、そういう意味での是非を考える。
コンテナ、という言葉であれば、一般的であり、なんとなく「その中にモノが入る構造物」というイメージがわく。
しかし、コンテインド、となるとスッと意味が了解することが難しく感じる。
セットで用いることにより、その業界オリジナルの、独特の意味合いを持つことを強調できるという利点はある。

2013-08-17 08:00