幸せは貯金である

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「幸せ」が貯金であるのと比べると、「楽しさ」は瞬間の稼ぎである。

幸せを感じるには時間が必要だ。一瞬楽しさを感じたとしてもそれが幸せという感覚には直結しない。
幸せというものは、他人に「幸せでしょ?」と言われても当事者がピンとくるとは限らないものだ。
幸せという感覚は当事者本人の価値基準に沿った実感がなくては成立しない。

だから他人から「幸せ(そう)でいいねー」などと言われてもそれをそのまま受け取る、真に受ける必要はないと思う。
他人や一般世間が言っている「幸せ」基準をそのまま使うのはいけないものだと思ったほうがいいくらいだ。
(基準を形作るものには、お金、結婚、出産、仕事、健康、経験などがある)

そうでないと、自分では幸せを実感していないのに、与えられた他人の幸せ基準を用いて、「自分はなんと不幸なのだ」と嘆いたり、「自分は今、幸せである(はずだ)(なのに、なぜ苦しく感じるのだろう)」などと自問自答したり、悩んだりすることになってしまう。

幸せという貯金が貯まってくれば、ジワッとした快を感じられるようになる。
あるいは、将来において幸せというお金が貯まっていく信頼が十分に感じられれば、そういった場合でも幸せを感じられる。
一定以上幸せが貯まっていればちょっとくらい不快な出来事が起きても、それによって貯金が目減りしても、そこから発生する幸せの感覚は簡単にゆらぎはしない。

ここまで考えてきたこととは別に「不幸を感じていないこと」が幸せの定義であるとも思う。
今この瞬間に明確に感じられる、もしくは判断できるのはかだけであると思う。

現時点で「幸せ」について考えてみていること。

(2014-02-24)

2014-03-19 10:00