味覚を、変わりたい

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食べることは生きることに直結する。
量や概ねのエネルギーさえ確保できればすぐには死なないし満足できる。
古代には人類のほとんどが飢餓やその不安と闘ってきたとか、近代でも国家や政治の不安定で飢えていたという時代もあるが、それでも着実に食の安全は高まり、人類としての文化、文明、ノウハウは蓄積してきている。

逆に、現代だからこそ、摂取エネルギー過剰や、塩分過剰、脂質過多などによる生活習慣病のリスクが高まっている。
このリスクのやっかいなところは「人間の本能としてはリスクに感じられない」というところだ。
人類は、エネルギー欠乏や脂質の予備量確保、塩分を貯めこんでの体内環境整備を長らく追い求めてきていたから、それが簡単に確保できる状況になったからといって簡単にブレーキをかけることはできない。

まず、センサーを、味覚を、身体の感覚を敏感に取り戻さなくてはいけない。
そうでないと、せっかく医療の進歩や、政治・生活の安定で得た長生きできる利点や、文化・文明が進歩したことによる人生の楽しみを十分に受け取ることができない。
過剰なダイエットで死にかけるのも、グルメ気取りで食の快感に不適切に取り込まれ短命となるのも馬鹿げている。
ナンセンスだ。

勝間和代氏の最近の関心テーマとしても、食やダイエット、健康というものが多く取り上げられている。
これは、健康そのものが目的ではもちろんなく、健康であることによってやりたいことがうまく永くでき、より楽しんで生きることができるからだと理解している。
そして、そのための工夫や試みは、修行的な「苦あれば楽ありというような」報酬型ではなく、現代の叡智やツールをうまく使えば、過程そのものが楽しくなるのだとわかる。

自分も高校から大学の頃には、丸山淑生氏の食に関する本やエッセイを読んで、いたく感銘を受けたがその後実践をしてくることはできなかった。
しかし、今齢40を目の前にして、今後どう生きていくかを考えた時、食の工夫や立て直しはぜひともしたいところだ。
様々な出会いやきっかけもあり、運動への関心とともに、食へ挑戦も計画し始めている。

2013-03-12 07:00

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