2013年2月8日〜10日の日程で「平成24年度障害者スポーツ医養成講習会」に参加している。
その中の実技講習ではゴールボールと車椅子バスケットボールの実体験があった。
ゴールボールでは先日のロンドンパラリンピックで金メダルを獲得したチームの選手2名とヘッドコーチ、スタッフと計4名の方が時間を取って来た上で研修を受け持っていただいた。
実際の体験では私たちも視界を遮るゴーグルをして、鈴の入ったボールの音や、床のラインの感触、互いの声やその他の音だけを頼りにプレーした。
確かに普段視覚に7、8割の外部情報を頼っていると言われるのだから、戸惑うし怖いし失敗もする。
しかし、困難はチャレンジであり、それを楽しむ性質を人間誰もが持っているから、ワクワクも感じる。
ヘッドコーチからはゴールボールという競技の魅力・要素に「音を採る」「周囲を想像する」「チームメイトとコミュニケートする」などがあることを説かれた。
後から考えるに、これら3つの要素は何も特別にゴールボールというスポーツに限るものでもないなと思う。
「音を採る」というのは、まず情報を受け取る、探るという外界との接触である。
人の活動や人生の始まりは決して自分が起点ではなく、何かエネルギーや存在を他者から与えられ、それらとの関係の連続でしかない。
「周囲を想像する」というのは、受け取った情報を処理する知性、知的活動だ。
ここには個性やクリエイティビティが発生する。
スポーツや社会ではその優劣が判定されることが度々あるが、本当のところ、それらは「違い」でしかなく、ポジティブもネガティブもないハズのもの。
「コミュニケート」は人間・人類が集団生活をする上でのもっとも特徴的な点だ。
もちろん動物や植物だって生態系をつくり互いに関わりながら生きている。
しかし、人間は前2者の能力がより豊かであることから、単なる量的違いを超えて、質的な違いを生んでいるし、それは文明や文化になっていると思う。
また、視覚を遮った状態というのは、普段認知している空間や世界というものをガラッと変えるものだということをジワッと感じ、思い返して考えてみる機会になった。
自分の世界が狭くなったような、広くなったような。
自分が動くことによって何かにぶつかったり、他者に影響を与えてしまうと感じ怖さや窮屈さを感じると狭さにつながる。
音が聞こえる範囲すべてが自分の世界、というか感覚器だとでもとらえれば急に自分が大きく広がったようにもとれる。
ヘッドコーチの江黒氏は「自分の仕事に戻ったときに少なくとも10人にはゴールボールについて何かを話して広めてください!」という言葉もあり、色々考えつつ、今回のエントリを書いている。
2013-02-10 08:00
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