筋トレと心理が似ているという話

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最近になって自分の身体を鍛えることに関心を持つようになった。
前職の時にこそ身体を整備しておいたほうが良かったんじゃないかという気もするが、時間や気持ちの余裕、自由度が少なかったからか、そういうモチベーションが上がらなかった。
今ならフリーランスだから、休みも取りやすいし(というか仕事を入れなかったら収入が途絶えちゃうんだが)、平日の朝イチから慌てずにジムを利用できたりする。

2011年にフリーになってからジョギングをなるべくするようにしてみたり(あとハーフマラソン出た)、2012年の頭から腕立て伏せを続けてみていたり(今もやってる。フォームはいい加減だけど……)、2012年後半からスポーツジムに通いだしたり(今、成り行きで2箇所行ってる)と自分でも目先を変えつつ身体を鍛えている。
あと、最近10kmレースも走った。

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筋トレをしてみると、アラフォーでも続けていればちゃんと逞しくなってきて変化が目に見えるから面白い。
勉強や資格、技術とかと同じで、自分の変化や成長に興味が持てる状態になると慣性がついて続いていく。
ゴールの有無とか、それが有意義かどうかとかはあんまり関係ないんじゃないかと思うし、意識はしていない。

それで、筋トレと心理の話。

闇雲なトレーニングにも疑問をずっと持っていたり、飽きも少し感じてきていたりして、トレーナーに教えてもらってのそれを始めてみている。
10年くらい前に耳にはしていたが、実際に体験する機会はほぼなかった「体幹(コア)トレーニング」という方向から鍛えるのが主流のようだ。
内容や理論の初歩を聞いてみても納得できる。自分の持っている医学や物理学、生理学などの観点から考えても、という意味で。

で、自分の弱点としては姿勢の悪さとか、関節の固くて動きが悪いことなんかを認識できてきて、そこをまずは改善することにしている。
「関節が固くて動きが悪い」といっても要素を分解してみると単純ではない。
バックブリッジをして股関節を動かしたりしてみると左右差が現れてくる。
新鮮な感覚だし、定量的な指標だから改善や修正のしがいがある。

関節の動きが固いというのは今の自分の認識としては3つの要素の一つあるいはそれ以上の組み合わせで起きている事象ということになる。
3つというのは「筋力」「神経」「関節そのものの固さ(軟骨間の摩擦力過剰とか、靭帯の伸縮可動性とか)」だ。
動きの悪さは定量できても、その原因がどの要素に依るものかは自分でも見てもらうトレーナーでも簡単には判じられない。
様々なストレッチやフォームチェック、トレーニングを早速始めて試行錯誤してみるしかない。

そして心理についても、同じように要素を分けて考えられるんじゃないかと。
勝手に言ってみると、筋力は「エネルギー(身体や精神の活動のための)」、神経は「気持ち」、関節の固さは「言葉(言動、でもいいか)」という対応だと思う。
心理体な問題やトラブル、不具合、変化があった場合、それらをそのまま扱うよりはなんとか少しずつでも要素に分解して観察し、改善していった方が有効な場合がありうる。
「エネルギーが足りないんじゃないか(疲れてない?)」「気持ちの上でなにか我慢してしまっていることに気づいてない(もしくは隠している)」「言葉や行動を自分ではコントロールできない(だけ)」のように考える。

こんな風に筋トレと心理という一見すると縁遠いものが、扱い方のコツとしては似通ってくる。
観察やストレッチ、負荷を調整しながらのトレーニングはまったく同じノウハウが使える。
こんな独自理論も良いのではないか。
他の人でも腑に落ちるような表現とか使い所などを工夫する必要はあるが。

2013-01-06 08:00

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