自分の家で料理したり食事をしたりすることが珍しいことになっていく

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食事、料理は専門家や専門サービスが担い、個人や家庭で料理をすることは稀になり、趣味やニッチとして残るのみになるだろう。

こんな話をすると、食文化の否定のように思われたり、家庭の味や食事を通したコミュニケーションが無くなるわけがないと感じられるかもしれない。

だが、例えば農業について考えてみて欲しい。
大昔には家族や村単位で自給自足的に農作物を作り生活していた。
しかし、今では人口が増えたことにより(そのことが鶏なのか卵なのかはわからないが)、一部のプロが大量生産をして、その他の人類に供給している状態だ。
家庭農園や菜園などを玄人はだしでやっているというのは、やはり趣味的なものであるか、余程特別なニーズか志があってのものだろう。

また、医療についても挙げていこう。
家庭ややはり村などで、病や怪我を処置したり、治したりといったことは生き物としてヒトにとっても自然で重要なことだっったはずだ。
そこへヒポクラテスを象徴的な始祖として「医学」という概念が生まれ、科学と論理・経験の積み上げと継承によって専門的手技や体系、サービスとして確立され続けてきた。
今では一定以上の医療については、家族や一般人が為してはいけないというまでになっている。

このように農業や医療が一般人や家庭から奪われた。否。社会への適応や効率化を目指した自然な結果として、工業化、産業化、サービス化、専門家が起こり、一般の人間はその成果を利用して別の部分での仕事や生活にエネルギーと時間を向けることができるようになったのだ。

こうして考えると、個人や家族の中で料理をして食事をするという様式が、数十年か数百年かの時間をかけて、まったく存在しなくなることはないにしても、とても珍しい文化行動になっていくのではないだろうか。

2012-11-22 08:00

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