私が「自己一致」している理由

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カウンセリングやメンタルヘルスの議論を数人の勉強会でしていて「自己一致ってなんだろうねー」という話になった。
教科書的に考えれば、この言葉のそもそもの始まりはカール・ロジャーズの来談者中心療法、そしてその方法論や理論の中で提示されたもので、それが変化しながら利用・研究されてきたということになる。
いわゆるカウンセリングがうまくいく条件としては「受容」「共感」「自己一致」という三位一体のものとしてよく語られる。

カール・ロジャーズ – Wikipedia

話は自然と、「自己一致って理想だけど難しいよね」とか「こないだ知り合いが自信満々に『私は自己一致しています!』と言い切っていてちょっと引いちゃった。。」という感じになった。

自己一致は原典の単語では genuineness というもので、なかなか日本語としてぴったりと変換することも、概念を理解したり、皆で共有したりするのにも骨が折れる。
また、その意味するところの素晴らしさや大事さはわかるのだが、具体的に現場や自身に反映するとなると途端に絶望的な距離を感じてしまうことが多い。

しかし、ふと私自身について考えてみると、意外に「自己一致できている」と感じてしまう。
そのことをそのまま、その場の議論でも出してみたのだが、そんなに反論は出て来なかった。
というか、こういう自己認識やカウンセリングという不可侵・守秘ガチガチの現場での主観をいくら他人が出して見せてきても、結局別の人間が厳密に吟味したり評価したりはしにくい。
それは余程うまく機能しているスーパービジョンや教育分析という枠の中でだけ適切にされる可能性が高まるものだろう。

ただ、さらに進めて考えると、私自身は本当に自己一致しているというよりは、「自己一致している部分しか外に出さない。勉強会であってもカウンセリングであっても」ということかもしれない。
カウンセラーや人間すべてが、突き詰めて自己一致が義務だ理想だなんだと言い始めたら、皆修行している間に寿命が来てしまう。
不完全な人間が他人を絶対に支援してはいけないとかできないとか言うことはナンセンスだ。

これは「自己一致」だけでなくプロフェッショナルなカウンセラーとしての「健全性」についても言えることだ。
健全性や常識は必要だが、パーフェクトでトータルなそれをいつでもどこでも求めるのは不適当だろう。

私の理解する genuineness は「凄み」だったり「ブレのなさ」だったり「覚悟」だったりといった言葉の周辺ニュアンスだ。
完璧な人間はいないだろうが、限定的な分野や場面での能力や統合の高さはトレーニングや学習ができるものだし、評価などを共有して仲間内で高め合う事ができると思う。

2012-05-25 07:00

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