感情は原始的で、理性が上位にくるのか

20120211133638

言動が感情にふりまわされるさまは「動物みたいだ」とか、最悪の場合「鬼畜である」というように評される。
このように考えられるのは次のような常識があるからではないか。

  • 人間は動物よりも高度に進化した上等・上位の種である
  • 原則として、理性や知能というものは、本能や感情よりも間違わず、これもまた優秀かつ上位の機能である

しかし、私の考察と想像では、感情が原始的なもので、理性や論理的思考が上級で、進化によってヒトに備わった資質というわけではない。
感情と理性は、はっきりと上下関係や支配あるいは主従関係にはない。
もしくはむしろ感情のほうが生き物としては非原始的な要素だと思う。

人間は複雑な概念や言語、時間や科学といったものを集団で発展させる過程で、それを単純にひとまとめにしたり、ある種の安全装置として感情を身につけた(または感情を持たない種は淘汰された)のだろう。

論理的に考えれば、個としての自分に直接に得にならない行動を継続して家族を養ったり社会に貢献したりすることはそれほど合理性がなかったりしないか。
不安や後悔という感情は時間というものを頭の中に生み出し、社会が動くのに不可欠の要素としなければ、実はこれほど強烈に人間の思考や行動に影響を与えることはなかったのではないか。

もちろんこれらにはそれぞれすべてにメリットとデメリット、または個人としては合理的ではなくても集団や社会としての利益が大きいもの、あるいはその逆があったりもする。

呼吸をしたり心臓を規則的に動かしたり睡眠と覚醒のサイクルを調整したり食物を摂(獲)らせたりするための本能は確かに生き物としてはより基本的な機能だろう。
つまり原始的ということだ。
一定以上に複雑なしくみを持つ生物はこれらの能力なしには生命を維持することが難しい。
その点ではヒトも動物などと同じように支配されていると言える。

しかし、現代の人間やその社会には愛情や功名心、羞恥心や物欲、不安や後悔、焦りといったそれらそのものが生きる上で本当に必要なのか不可欠なのかわからなかったり、どう考えても害悪にしかならないのではないかとう感情や思考がある。
その部分を理解するためには、感情が何であるか、なぜ感情があるか、動物には感情があるか、果たして人間は動物よりもはるかに優れた種なのかなどを考えてみると良いと思う。

2012-02-13 08:00

(関連エントリ)

もしも知能がなければ、感情もない | deathhacks

時間はなぜ左から右に流れるのか? | deathhacks

Related Posts Plugin for WordPress, Blogger...

コメント

タイトルとURLをコピーしました