給料をもらい、昇給することで得られる自信

20120112100941

公務員として去年まで勤めていたときには考えたことがなかったのだが、日本で被雇用によって受け取る給与額の根拠はあいまいなものであることが多いのではないか。

ある業務を勤勉に継続的にこなしていたとして、その成果の分配を受けるのはまあ、その額が妥当かどうかは置いておいていいとしよう。
しかし、その額が定期的に上がる、つまり定期昇給という制度があったとしたら特にその部分については不可解さが感じられる。

要するに同じ仕事を同じ環境で同じ人がしていたとして、給料が上がる理由がない。
もちろん何か資格を新たに得たとか、何かしらの試験やチェックで能力の向上が定量できたとかの条件があれば、その人物を雇用し続けるために人材価値の分を上乗せしていく市場作用はあるだろう。

こんなことを考えたのは、自分の過去の繰越した預金通帳を通して数年分見返してみて、案外じわじわとだが着実に手取り収入が増えてきていたということを再確認したからだ。
もちろんその間には組織内での位付けが上がったり、ポストが変わったり、転勤をしたりはしている。
しかし、自分が何か成長したとか、人材として能力が高まったとかいう具体的な証拠を挙げることは難しい。
もちろん経験知的な向上はあったはずだが、それは流動的な市場で確実に評価してもらえるものでもない。

今回の話を強引に心理的な観点から考えるならば、資本主義社会での被雇用による給与額は自信の根拠となる大きな一つの要素だということだ。
ある仕事をして、目に見え記録や記憶に残るような成果を残したり、感謝や賞賛を受けるということでも人は自信を得るだろうが、それを金銭というもので評価され受け取るということはもっともわかりやすい指標になる。
これは逆に、他者や集団などに感謝等の気持ちを表現するのに、金銭を通して伝えるということも同じことだし、社会や国家に対して税金を納めることによって貢献していたり共存関係を維持したりすることにも通じる。

お金、貨幣経済システムというものは、経済を流動的にするための柔軟な循環であると同時に、人々の日々の自信や安心といった感情やそれぞれ同士の関係を仲介するツールになっている。

2012-02-08 08:00

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