名前に込められた「思い」と「関係性」

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名前にはそれぞれ「思い」が込められている。
物の名前はたいてい決められている。
人の本名も基本的には自分では決められない。
生まれて意識のはっきりしない時に、自分以外から名前を付けられるからだ。

それでも世の中にはペンネームや会社の屋号のように、自覚や夢そして責任を持って名前を付けることが許されているものもある。

その中間が呼び名やニックネーム、さらには名前に付ける敬称(のようなもの)だ。
そこにももちろん「思い」が込められているのだが、多くの場合それらは自然発生的にいつの間にか決まってしまっている。
親が子に愛情を持って考えるのとは違うし、夢を込めた組織やプロジェクトの名前でもない。

ニックネームや愛称は他人がその人をどう見ているかを表している。
身体的特徴、例えば「ハゲ」やら「デブ」やら「ちび」などの語彙が含まれていれば、それらの外見部分が一番印象に残り続けているのだろう。
「〜ちゃん」のような呼び名には親しみが込められているが、弱者への労りのようなものも感じられる。

名前にはそれが使われる場面も重要な要素になる。
会社などの半公(おおやけ)の場で「さん」付けにするのか、役職名を付けるのか、呼び捨てにするのかなどで、やはりその人が相手をどう見ているか、そしてそれを周囲に日常的に伝わることを期待か少なくとも許容しているということがわかる。
近頃では揺り戻しの動きもあるが、病院で患者の名前に「様」を付けるように右へならえ的に変わったことにも似たような「思い」の背景があるはずだ。

名前には「思い」が込められているといったが、それが口から出て、相手や他の人の耳に入れば、今度は社会の中での関係性にも影響を与えていく。

2011-10-17 08:00

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