後から現実を学んでいく

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児童の反抗期というのは、現実原則との最初の衝突だ。
現実原則というのは、世の中の我慢しなくてはいけないことや限界のことである。
現実原則を知る、といいうのは現実を認めることである。
すべてが思うとおりにはならない。
物理的、時間的に不可能な欲望もあるし、他人や社会から制限されたり制約を受けたりする場合もある。
現実原則の反対は快楽原則と言う。

人間は生まれたときには自我や自意識を(はっきりとは)持たない。
成長するにしたがって、学習もして、まず自我を持つ。
最初の頃の自我は、まだ未熟で、自己と他人を区別できない。
例えば、赤ん坊は自分と母親の区別が付かない。
食べるにしても、寝起きにしても、寒暖への対応にしても、遠慮や我慢をしない。
赤ちゃんが、ミルクや食事を与えてくれた父母に「いつもありがとう」と言ったりはしないのは知能や言語能力は未発達だからということもあるが、他人や欲求が通らない世界を知らないからということが主な理由だ。

成長し、学習することによって、どうやら自分とそれ以外というものがあるらしいこと、自分以外にも意志を持つ生き物が他にいるらしいこと、一番身近なそれらが父そして母というものらしいということを認識する。
世の中というものが、どうやら自分の思うとおりにならないものであるらしいことを段々に知っていく。
お腹が空いても食べられないことがあるらしいこと、欲しいものがあっても手に入らなかったり我慢させられたりすることがあるらしいこと、かまって欲しいときに父母がかまってくれないことがあるらしいことなどなど。

快楽原則と現実原則のズレを初めて感じ、それに怒りやイライラを憶え、表現し、最初に外部から観測されるのがいわゆる反抗期だ。
当然だが、抵抗を示す。
なんとか世界が自分の思い通りに動いてくれないかと言葉や態度で要求する。
なぜ自分が世界の中心ではないのかを自分や周りに問う。

そう考えると反抗期がはっきりしている人と、「そいういえば、うちの子は反抗期なんてなかったわー」などと言われる者がいるのもわかる。
家族の目に触れるような現実原則との葛藤よりも前に、別の現実で十分に学習した場合、あるいは知能の発達が早くて想像やシミュレーションで現実原則を学習してしまった場合などである。

まとめ

自己と他者を区別できること、(自己ですらそうだが)他者や世の中は自分の思い通りにならないことがあるということは、普通の大人にとっては当たり前のように思えるが、これらの認知は生まれつき持っているのではなく、後から発達しつつ学習したものである。
世の中、時にはがまんが必要だったり、思い通りにならないことがあったりすることを「現実原則」と言う。

2011-09-25 08:00

(追記)
今回書いたものは、いわゆる第1反抗期について。
青年期の第2反抗期というのは、その時期に幼少期の第1反抗期と同じくらいに、自己と他者の関係が変わったり複雑になったり欲望と現実のギャップの大きさを感じるからだろう。
しかし、一般に青年期を過ぎてからの方が人生は長いし、「本番」と言える。
反抗期の前には現実原則に必ずしも従わなくても良い、守られ保護された環境や時期がある。

(関連URL)

現実原則 – Wikipedia

快楽原則 – Wikipedia

自我 – Wikipedia

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