ガー・レイノルズの「裸のプレゼンター」を読みながら自分のプレゼンを振り返る – その3

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今回100人近くの人たちを前にして教育する―私自身には上から目線で教えてあげようという気持ちではないのだけれど―という状況は初めてだったので事前の調整や準備の段階から、私は緊張していたし、ナーバスになっていた。
知人からの紹介で受けた話でもあったし、前回の同様の場よりも成果が低かったり評判が落ちるということも怖かった。

ただし、自信がまったくなかったというわけではない。
自分の持っている知識やこれまでの経験、得てきたノウハウやコツというものを出しさえすれば自分も聴衆も満足できるだろうということは“わかっていた”。
あとは実際にやるだけ、現場で臨機応変を恐れないということだけだった。

準備は順調にできたとは言いがたい。
実習を多く取り入れるという教育の構成は最初から決めていたが、その内容をどうまとめ、絞るかということについてはなかなか決心できなかった。

終わってみれば、結果として、パーフェクトではないが、聴衆も私自身も関係者も十分に満足できたと思う。
それはかかった時間や金銭コストからみても妥当なレベルだったと個人的には落とし込んだ。

でも、もっとさらに改善の余地はある!
苦しまないで―実際に一時は本当に苦しかったけれども、後になってみれば「喉元過ぎれば熱さ忘れる」になっている―準備するべきだ。

そんなことを「裸のプレゼンター」を読みながら考えていた。
そう。結果をいくら気にしていても「今」行動し手を動かさなければ何も始まらないし、何も見えてはこない。
必要なのは、話し議論する勇気、手を動かすワクワク、アウトプットしてフィードバックする労をいとわない勤勉さだ。
生きているうちに悩むのは大半、時間の浪費だ。
自分や社会と折り合いをつけてあがいて人生を乗り過ごさなくてはいけない。

「今」「ここ」に集中する

新しい聴衆に向けてプレゼンテーションを作成・実施することを迫られているとき、私は、他にどんなに多くの仕事を抱えていようが(それによって集中力が切れそうになろうが)、「このプレゼンテーション」、「目の前の聴衆」だけに集中するように、自分を追い込んでいる。「次のプレゼンテーションなんてない、これしかないんだ」―相手が50人であれ、5000人であれ、新しい聴衆の前で話し始めるときは、常に自分にそう言い聞かせることにしている。

– 裸のプレゼンター、ガー・レイノルズ、ピアソン桐原、2011、p.76

2011-08-12 09:00

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今死んでも大丈夫 | deathhacks

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