パートナーは一人にしぼらなくても良い – 結婚について(3)

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結婚するにしてもしないにしても、「パートナー」をたった一人に限定する必要はないのではないかと思う。
もちろん、2人以上と同時に結婚すれば「重婚」だし、結婚していて配偶者以外と関係を持てば「不倫」とされ、独身でも同時に多数の異性と濃く付き合えば「浮気」と言われる。
これらには法的あるいは社会的な罰則や制裁が通常される。

別にこれらの「非倫理的(と言っておく)」行動や関係を奨めたり、許容しているというのではない。

異性間の結婚には複数のパートナーシップ関係がある。
愛情にもとづくもの、セクシャルなもの、再生産(子どもをもうける。育児)、労働の分担、経済的な共同体、趣味の共有、住居の共有、などだ。
これらを必ずしもただ一人の異性に求めるのは、ときに少々無理があるのではないか。
むしろ、愛し合う人と性的関係を持ち、親類や社会に認められて、一緒に暮らし、経済的にも充足して、楽しみを共有し、子どもをつくって次の世代に申し送る、というのは理想的すぎる。
多くの人たちは、こういっては何だが色々と妥協しているはずだ。

様々なパートナーシップを厳選した相手に一度に求めるのは、集団としては効率がよかったのだろう。
少数の雄や雌が、ある程度の規模の集団内の異性を「総取り」する種もあるが、人間そして日本ではそうはなっていない。
公平に。一人につき一つ(一人)までにしてください。
そういうルールになっている。

しかし社会は、これだけ多様に、豊かになっている。
情報の流通コストも下がった。
パートナーシップを求める相手を使い分けてもいいのではないか。
一緒に暮らし子どもをつくる相手以外に、知的により語れる関係を持つのも可。
経済的なパートナーシップと住居などをワンセットにしなくても良い。
おそらく単純な「種」としての再生産や繁栄という面では不利になるが、ヒトという種についてはその方向になる、あるいはなってきているように思う。

2011-06-23 06:00

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