突出した単一の人物評価軸がないことの優位性

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仲間内、業界内での私自身の立ち位置をあらためて感じ取ってみようとすると、とても自由である気がしている。
他人や組織にとんでもなく発言権や影響力があるというわけではないのだが、さりとて外部から監視されたり干渉されたりするようなこともない。
そして、それが大事だと思うのだが、孤立しているわけでもない。
我ながらバランスが取れているというか、ちょうど良く有利な状況を維持できているみたい。

この背景を考えてみると、付き合いの有る範囲では、私のキャラクターや特性、能力などのかぶりやヒエラルキーへの組み込まれがないということなのだと思う。

例えば、私はいわゆる「アラフォー」なので、メンタルヘルスやカウンセラー業界内でベテランや指導者という感じの年齢層よりかは幾分若い。
実際、本腰を入れてカウンセリング周辺の訓練や研究をし始めてから3年くらいの経験しかなく絶対的には少ない。
しかし、医師の資格を持っていたり、組織内での序列は年齢に比して上位であったりすることから、何か特別に良いことやハッとするようなことを言わなくても、結構多くの人から「スゴいですね」とか「(スゴそうだな)」と理解または誤解されるというパターンが多い。

また、アカデミックなヒエラルキーに組み込まれて研究をしているという訳ではない。
もちろん科学的だったり、evidential な仕事をしようとするには、かなり努力が必要でハードルが高いが、常識や歴史の中に潜む、しがらみにとらわれなくてもいい、という諦観を持てる。
これは利点欠点の両方あるけど。

組織内での役割も、年功序列的な評価軸からは離れた技術職としてのそれが主なので、先輩後輩のような仁義倫理からも離れていられる。

あとは、自分の正に今やっている仕事や訓練、研究、そして実力や自信を、メンテナンスながら、確たる目に見える実績に変換していくことに注力していくことが唯一の活路だと思って生きていっている。

2011-06-02 08:00

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