自殺に事前のサインはない


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自殺の予防となると周りが「気づく」ことをまず考えることが多いがこれはウマくないやり方だ。

ある自殺を後から検証すると「こんなサインが出ていた」とか「準備をしていた」とか「遺書(のようなもの)が残っていた」ということは確かにある。
しかし、そういう事例は多くなく、感覚的には半分から3分の1よりも少ないだろう。
人間は「対策ができそう感」があれば安心できるから自然と「予測」できるものと考えがちだ。
地震と同じく、予測について研究・開発することは大事だが、予測をあきらめて「起きてしまったときの被害を最小にする」ことに専念するのも経済的に効率が良い。

また、死にたい、逃げたい、消えたいという気持ちが高まったようなときに、それがどのように表現されるかは様々だ。
愚痴を言って解消できる人もいれば、ストレスを解消して乗り切る人もいる。
ドカンと思い切って休める人もいれば、倒れるまで頑張って身体に症状が出てストップが客観的にかかる場合もある。
最後までなんとか自分一人の力、内面だけでなんとかしよう、なんとかしたいという生き方をどこから他人が介入できるだろうか。
それらは、生き方や幸せ、価値観と同じく他人がどうこう言えるものでなかったり、個性そのものであったりするのだ。

そして、「死にたい気持ちに周りが気づきましょう」というメッセージは、実際に自殺が起きたときに「気づけなかった周りの人たちに責任がある」というメッセージにもなるから、積極的に肯定してお勧めすることができない。

代案は二つだ。

一つは、困ったり悩んだり、不眠や食べる気になれない、自分がいない方が良いだろう、もうやっていけない、などという思いにとらわれたときに、それが事実かどうか、変えられない状況かどうかはさておき、そのまま信頼できる人や医療や相談窓口になんとか伝えようという教育だ。

もう一つは、自分の身近な人が悩んでいたり、困っていたりするようなときに、その人がうまく乗り切れそうか、実は限界ではないか、死にたい消えたいという感覚があるのではないかということを、勇気を出して訊くようにする教育だ。

この二つの背景には、「人間の内面はしょせん外に表現しなくてはわからない」「たぶん大丈夫だろうというバイアスは最悪の事態が起きることを見逃すことにつながる」などの現場からの学びからきている。
思いや願いは大事だが、現実を変えるには具体的な行動や表現が必要だ。

2011-05-16 06:00

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