被災地にボランティアで行っても、役に立たなかったり、却って好意の押し付けになったり、自責感や無力感で自分自身がやられてしまったりする。
少し違うが「勇敢でベテランの戦闘機乗りを存在しない」という文を思い出した。
戦闘機のパイロットは臆病で逃げ回っていれば、とにかく生き長らえることはできる。
たとえエースにはなれないとしても。
勇敢にドッグファイトに挑めば、多くの場合「どちらかが」(あるいは両方か)撃墜される。
手柄を立てて生き残ったパイロットも戦闘を重ねていけば死の確率は累積する。
だから大戦の戦闘機乗りの多くは優秀であったとしても「ベテラン」の域に達したものは少ないということのようだ。
また、井上靖の「氷壁」では常盤大作が魚津恭太に「登山家は優秀であるが故に山で命を失うのじゃないか」と問いかける。
プロであるならば二次災害、二次受傷は恥だと、個人的には思っている。
しかし、メンタルヘルスケアの分野ではその見切りが難しいことも実感したり聞いて学んだりしている。
プロでなくとも、自分の行為や言動が何をもたらしているのか、判定は難しいが善なのか悪なのか、あるいは無なのかを計る尺度やメタ視点はあっていいと思う。
2011-05-08 07:00
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