うつや不眠、自殺などの惨事後の教育またはカウンセリングにおいて「アルコール」を絶対的悪者呼ばわりする人がいる。
それは医学的、科学的、論理的に正しい。
そして正しいからこそ「やっかい」だと思う。
どうやって、誰に伝えるか、伝えているのかというのを意識して工夫しなくてはいけない。
「正しい」とされていることを学ぶことは容易い。
「正しい」とされていることを「間違っている」人に言うのは間違っていないし有意義な「はず」だ。
しかし、それはプロフェッショナルではない。
血圧が高くて、動脈硬化が進み、肥満している人に「やせなさい」というようなものだ。
今時、本人だって周りの人だって、何がその人の健康を害しているかは分かっている。
分かっていても、生活習慣や優先順位を変えられないのが問題なのである。
もしも医者がそんな診療や指導をしていたとしたら「昭和」の感覚だ。
うつ状態の人、心身ともに疲れて正常な行動や判断ができなくなっている人に「休みなさい」「会社に言って仕事を減らしてもらおう」「医療を利用しましょう」という提案をする「だけ」ならば誰にでもできる。
どんなうつの入門書にもそんなことは書いてあるし、それは正しい。
その「正しい」ことを「正しく」伝えるのがプロフェッショナルであり、今は幸いにそのノウハウや感覚は探せば見つかる。
(その一つはメッセージコントロールと言っているような配慮や考え方)
「アルコール」や「自分一人の力で頑張ってやり抜きたい」という気持ちを完全に否定するところから入るのは素人である。
「正しい」だけの教育や指導は、広く一般的な相手が対象ならば構わないし仕方ない面はある。
2011-03-09 08:00
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