極論すれば現代社会のほとんどの業は虚業と言える

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世の中には、人間が単に生き物として「生きる」ためだけならば必須ではないものが多い。
ギャンブルもアルコールもタバコもゲームもテレビも、なくなったからと言ってすぐに誰かが直接に死んでしまうということはない。

警察も要らない。
それぞれが自分の身や財産を自身で守ればよい。
農業も要らない。
元々、自給自足で作れる以上の作物・食物が必要になるという時点で人数・コミュニティを拡げすぎた状態なのかもしれない。
医療も要らない(部分がある)。
エネルギーを摂りすぎたり、便利に慣れすぎて運動不足になったりで、生活習慣病などというものが増え、それに対処するというのは自業自得なのか、本末転倒と言った方がいいのか。
なまじ優秀な発達によって寿命が伸びても、それをどう有効に活用すればいいかに社会も個人も悩んでしまう。
これは自由選択のジレンマのようなものだ。

人間は、共存、共生、共働することを種として選んだ。
生き物単体での強さは他の種に劣っても、集団化したり、道具を使ったり、外部資源を豊かにすることでここまで発展してきた。
それはすべて「社会」という仕組み、ツールだ。
人間は生まれてすぐにそのツールがないと生き残れない。
生まれても、親や社会が助けなければ生存しえない。

成人して、大人になってから、社会から出る、独立・独生するという自由はあるにはある。
しかし、それも完全には難しい。
国家や法律、経済、税金などの介入を無視はできない。

だからこそ「虚」のようにも見える余計な部分に、人間としての価値がある。

2011-03-31 07:00

(関連URL)

Twitter / 江口靖二: “デジタルサイネージは停電以外の理由で事業を停止する …

しゃべることによって話が(変化して)まとまる

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頭の中で考えていることを整理するために、誰かに話を聞いてもらうということはよくある。
このとき、結果としてアウトプットされたものは、元の思考やアイデアとおなじだろうか。
経験的にも、最初に思いついていることの色合いは残していたとしても、まったく違う話が出てくることが多い。
ということは、多くの場合、しゃべることによってアイデアを「まとめる」というのは「新たにアイデアを生み出す」ことに他ならないのだろう。

まず最初の起点となる”エウレカ!”が存在する。
よく言われることだが、この時のアイデアというものはとても儚く弱々しくモヤモヤとしたものだから、すぐにメモをするなりしゃべるなりしないとあっという間にどこかに消え去ってしまう。

次にアイデアを確固たるものとするためには、それを言葉や図式にしなくてはいけない。
言葉や図式と言ったが、よく使われるツールとしては言葉かもしれない。

言葉は(図式もそうだけど)「抽象化」の道具だ。
「抽象化」ということは、物事や事象、アイデアの「部分を抜き出す」という作業になる。
つまり、「抽象化したものは元のアイデアをそのままに表していない」ということになる。
似てはいるし、面影は確かにあるけれども、”まったくの別人”と表現してもいいかもしれない。

部分を抜き出す、というだけでなくその過程で、新たな部品が付いたり、表現手法が洗練されたりといった変化もする。
これも、抽象化あるいは他人へ伝えるコミュニケーションの中で自然に発生している現象である。

こうしてできあがったものが生成物としての「話」なのだと思う。
話すことや書くこと、自分の頭の中だけに思想や思考を閉じ込めておかずに抽象化してデータにし、外部化することは、決してできあがっているものを単に記録するというだけのものではない。
失われるもの、付け加えられ磨かれるものが必ずあって、そこでは創造的作業が行われている。

2011-03-30 08:00

カウンセリングの目標と必要な要素とは

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カウンセリングの目標はリレーションをつくること

カウンセリングの目的は、個人の不快を解消することや、現在よりさらに望ましい人生を得ることの支援である。
そのための目標としては、カウンセラーとクライアントのリレーションをつくること、あるいはカウンセラーがクライアントの味方になることが挙げられる。

なぜリレーションをつくることや味方になることが目標になるのか。
そのような関係、状態が生まれれさえすれば、あとはカウンセラーはクライアントの気持ちの支えになるなり、求められればアドバイスをするなり(その実行自体や結果はまた別問題として)自由にすれば良いし、言い切ってしまうと「どうとでもなる(うまくいく)」からだ。
ある悩みがカウンセリングのテーマのように見えても、単純にそれそのものにカウンセラーが立ち向かう必要は必ずしもない。

いい加減なことを言っているようだが、味方にさえなればあとは自然に良い方向に向かう。
カウンセリングというものは、プラスを目覚ましく増やすものというよりは、大失敗や取り返しのつかないような後退をなるだけ避けるための保険のようなものだと思っている。
カウンセラーがそういうサポートをしたからには、後はクライアント自身の運や力量に責任がある。

リレーションをつくるために必要なものは時間、経験、専門性、共感

リレーションをつくり、クライアントの味方になるためには、いくつかの要素が利用できる。
ここでは思いついたままに4つ挙げるが、それぞれが必ず必要という訳ではなく、心がけるための道しるべのようなものと考えている。

  • 時間:人間がお互いに信頼することができるようになるには「時間」が必要である。たとえ、はっきりと有益な時間でなく、チグハグだったり、多少の失敗や誤解を伴っても、共に同じ目標に向かって過ごしたという事実は良いリレーションへ近づくことにつながる。もちろん、仕事でも友情でも恋愛でも、瞬間的、直感的に気持ちが通じ合うということはあり得る。しかし、プロの現場でそのような低確率の可能性に頼るのは難しい
  • 経験:人生やカウンセリングの実績は、クライアントに安心を与え、カウンセラーが自信を持って取り組むのに、うまく利用したい
  • 専門性:プロとして、カウンセリングをマネジするならば、可能な限り、事前に、継続して、学んでおかなくてはいけない。歴史は短いとは言っても、カウンセリングや心理学、精神科医療などの情報はさまざま膨大に存在している。しかも今は手に届きやすい。経験・体験からしか学習できないことは確かに多くあるが、すでに分かっている落とし穴にハマる失敗をわざわざしなくても良い。クライアントにしろカウンセラー自身にしろ、その人生は唯一無二のものだろうけれども、過去先人が経験していないことというのは驚くほど少ないというのが世の中というものだと思う
  • 共感:共感はつまり、カウンセラーが他人でありながら、クライアントと同じ体験をすることである。現実にそれは不可能だけれども、クライアントはそう感じるし、カウンセラーはプロとしてのメタ感覚を持ちつつも、気持ちや思考を「理解する」ことが共感である。ところで、カウンセリングというと、共感に始まり共感に終わる、というような認識が多いかもしれない。しかし、あえて最後に持ってきた。それは「共感」がここまでに挙げた3つとは違い「水物」である面が大きいからである。プロとしては、確率の高い、使いやすいツールや要素が他にあるのならば、それがプロ専用のものでなくても迷わず使いたい。

2011-03-29 13:00

現場に行けないフラストレーション

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フラストレーション frustration を感じている。
資格や実力として、自分が運用・活用・投入されないのはおかしいと思っている。

そうは言っても、選ばれない、声がかからないことも含めての実力だとも思っている。
本当に力や有用性が認められているならば、当人が嫌でも、そのためにアクションがあるだろうから。
そういう意味では、世の中は冷たい、というよりも現実的で安心する。

良い面としては、自分の置かれている位置や、評価・評判をおぼろげながら確認できた。
自分は「使える」かもしれないが、「必須」ではない。
代えの効く存在だということ。

ここから「唯一無二」の立ち位置に変わっていかなくてはいけない。
大きくキャリアを変える選択をして良かった。
何か自分以外や状況が変わるのを待つのはリスクが大きすぎる。
必ずしもプラスになると見積もれる訳ではないが、時間も経験も今のままではもったいなさ過ぎる。

2011-03-28 07:00

災害・惨事現場の支援者におけるグループミーティングのすすめ

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惨事や災害の現場に出動した支援者に対するメンタルサポートの手法としてグループミーティングつまり仲間内での相互ケアがある。
現場での活動に区切りがついたタイミングで、管理者の指揮系統に基づく統制の上、活動単位グループを基本にした少人数でその活動についての振り返りを行う。
一般に「チームによる組織的な活動」であれば、活動の報告や活動中の問題に対する原因と責任の追及、さらにはその対策の検討などを必ず行なうだろう。
しかしここで説明する「グループミーティング」は、特に心理的なストレスや疲労の確認と軽減を目的としている。
ミーティングの実際のやり方とは別として、「組織としての活動に対する検証(ガバナンス的な要素)」と「所属する個人への配慮、人的資源の維持や回復(ケア的な要素)」の区分をトップや経営者・管理者が理解し、現場でもごちゃまぜにせずに時間や場の設定を明確に分けなくてはいけない。

この手法は、陸上自衛隊や東京消防庁の現場に導入されており、柔軟に改変・運用されている。
組織により「解除ミーティング」や「1次ミーティング」などと異なる名前で呼ばれている。

グループミーティングの概略

  • 時間:20分間くらいを限度、目安にする。現場の人員が、グループミーティングをすることによって感じざるをえない負担や面倒を最小限にしバランスを配慮しなくては継続的に実施し習慣化することは難しい。本来の任務や業務に多大な差し支えがあっては本末転倒である。終礼を少人数で業務単位でやるようなイメージから導入するのも良い
  • 人数:数人からせいぜい10人くらいまで。後述するように、各個人に発言するチャンスをキチンと与えることや、ミーティングを統制する者が参加者個々を十分に把握して注意を払える、目を配ることができる必要がある。必然的に一度に参加できる人数には限界がある
  • 1つめの目的は、その活動で各個人が行った業務や作業を発表して、その事実や情報を仲間内で共有することである
  • 2つめの目的は、それぞれが活動中に感じたことやミーティングをしているその時感じていることを表現したい範囲で強制されずに、素直に表現し、互いに知ることである
  • 3つめの目的は、参加者の中に特に弱っていたり、不安や問題を抱えている者がいないかのスクリーニングである

グループミーティングが有益である背景や理由

  • 惨事や災害での活動は過酷で、危険を伴うものだが、その成果が正当に評価されないこともありうる。また、たとえ良い評価をされたとしてもそれによって支援者が満足したり、自己評価の向上にそのままつながったりするとは限らない。与えられた状況・環境において、客観的かつ冷静に考えて、可能な限り最高の成果を挙げた場合でも、そのことがプラスを増やしたのではなく、マイナスを減らしただけであることが多いのが惨事や災害の特徴だからである
  • 上述のような無力感や、自分たちの実力が不足しているように感じることに伴う自責感を軽減するのには、組織外・部外からの正当な評価だけでなく、正に現場を共にした仲間 peer 同士での確認・評価という作業が有効である
  • 個人個人が互いの作業成果を知らせ合い、認め合うことや、現場や活動についての情報を指揮系統を通じて適切に伝えることは、管理がうまくされているならば、不平不満、不公平感の軽減や疑心暗鬼の解消に役立つ
  • 《参考》
    “4章で紹介された消防職員の全国調査(消防職員の現場活動に係るストレス対策研究会,2003)でも、グループミーティングへの参加者は参加した感想として,「同僚の話が参考になった」(63%)を最も多くあげていた”
    – 惨事ストレスへのケア、松井豊編著、ブレーン出版、2005、p.157-158

  • チームとしての連帯感や組織への帰属意識を強化、再認識することにつながる。苦労を分かち合う、組織が一人一人を大事にしているということを明確に示すことになる。言わなくても分かるだろうとか、当たり前だとかいう風に考えがちだが、危機的緊張を伴う状況でこそ意識的かつ適切に管理されなくてはならない

考察、注意することなど

  • 強度の心理的反応や疲労を示すメンバーについては、判明した時点で対応を検討したり、専門家チームと連携したりしていくべきである。ただし、専門家チームがすべてのメンバーに広く浅くケアや対応を提供するのは、資源の有効活用の面で不利であるため、仲間(ピア peer)という単位を活用する。グループミーティングが持つ「現場で」「軽易に」「仲間同士で」という特徴から期待される効果が、応急処置的なものであることは確かだが、救急医療と同じく、段階を区切って線引きをして資源を有効に使うことは当然とも言える
  • 業務上の責任や原因の追求・報告と、グループミーティング内で話されることとの間には一線を引くことは最初にも述べた。「グループミーティングで出た個人的な事実や内心などはそのグループ内だけの秘密とする」ことは重要である。ミーティングのないように関する報告や記録はしないことを原則とする。その約束があってこそ、メンバーのリラックスや本当の気持ちや事実を一人一人が提供できる
  • この点については、服務規律や組織倫理を守ることとは別の次元のことであり、組織所属者に対する安全管理として、管理者の理解、そしてある種の覚悟が必要である
  • グループミーティングを有効活用するためには、平常からの練習が必須である。たいていの人間や組織は、ピンチになってからまったく知らない新しいことを導入するリスクを取るのが難しい。抜本的な変更や対策をするのは、最初期段階もしくは平常であるべきである。追いつめられて最後の奥の手として、新しい大きな変化を強いるような対応をするのは得策ではない。またグループミーティング自体、どんなストレスや負荷でも魔法のように軽減したり解決したりできる万能の手法という訳ではない

2011-03-27 11:00

(参考文献)

惨事ストレスへのケア
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松井 豊
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※本書を出版していた「ブレーン出版」は「おうふう」に統合されたようだ

「そのまま」表現しないと売れないJ-POP

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最近のJ-POPなどの歌詞に、「愛してる」とか「会いたい」とか「感謝しています」いうような直接的な表現が多くなったのは国語力が落ちているとか、ゆとり教育の負の成果とか言われる。

このことの善悪はさておき、娯楽や商業としての音楽に前述のような傾向がみられる背景には社会とその文化が多様になったからだと思う。
コミュニケーションのためのツールとしてみると、今の世の中には日本語だけでなく多くの言語やカタカナ、新語、記号があふれている。
その増加や変化の速度が速まったため、世代が一つ異なると途端に言葉の齟齬が生じる。
言葉が通じないことは、話が通じないというだけでなく価値感の共有も難しくしている。
(最も、価値感の違いには、社会や経済状況も影響しているが)

そこで本質的な知能や知識の変化あるいは教育の結果のためばかりでなく、必要に応じた変化として、例えば流行歌の歌詞のシンプルかつ単刀直入化が起きているのだろう。
商業的に言って、需要に応じて供給される商品が対応しているだけということだ。

長期的に見て、この変化の流れは止められないし、おそらく変わらない。
ただ少なくとも、新しい世代は単に与えられていないから言葉を知らないとかいう訳ではなく、必要がないという取捨選択をした上で、そのツールを使い最大限のコミュニケーションをしている。
それを旧い世代が理解できなかったり、断絶を感じて悲しんだりしてもし方のない理なのだと思う。

2011-03-26 10:00

人は他人の苦労話なんか聞きたくない

R1007655

以前、自己開示について書いた。

オーバー・ディスクロージャーの原因と良くない理由 | deathhacks

その時には、好ましくない自己開示になる原因は、量的なもののみと考えている部分があった。
しかし、質的な要素も重要であることに気づいた。
気づきのきっかけは以下の文章より。

教師は作家と違って自分の一挙手一投足が教育的に有意味かを自問自答せねばならないからである。ところが自分の自己開示が教育的に有意味かどうかの判断を誤ると、単なるカタルシス、告白、自慢話に終わってしまう。そこで自分の個人体験のなかには生徒との間に共通するものーユニバーサルなものーがあるかどうかを考えねばならない。ロジャーズの表現を借用すれば To be personal is to be universal でなければ有意味といえない。

– 学校カウンセリングの基本問題、國分康孝、誠信書房、1987年、p.177

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結論としては、その自己開示、表現が、他人(聞き手、受け手)の役に立つか否かということが問題になる。
もちろんカウンセラーがクライアントの話を業として聞く場合などには、そのように聞き手側としての損得は原則として関係なくなる。
しかし、日常の社交会話や教育の場などで、大抵の人は、他人の苦労話やら、危機を乗り越えた話、自己実現体験や、半ば自慢話や視野の狭い社会化物語につき合わされるのは迷惑である。
その話の中に、何かしら自分の現在や未来に役に立つ要素が「わかりやすく」見出せないとストレスを感じる。

國分氏に、また教えてもらった。
しかも二十数年前に書かれた本という。

2011-03-25 08:00

言葉に敏感になろう、言葉にとらわれ過ぎないようにしよう

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カウンセリングでもメンタルヘルス教育でも、言語、話し言葉、書き言葉を使って、メッセージや情報を伝え、共有しようとする以上、そのツールについて良く知らなくてはいけません。
かと言って、言語学の専門家になるとか、法律や科学のように厳密な定義と解釈を研究するとか、言葉を使って”哲学する”とかいうのではありません。

例えば、我々は、うつやPTSDで見られるクライアントの事象を「反応」と表現することがよくあります。
一方、医療や心理職につく人としては、精神的なものにしても、身体的なものにしても、「症状」と捉える事柄が多くあります。
うつで、自分を責めるとか、人の目が気になるとか、死にたくなるとか、眠れなくなるとか。
PTSDで、突然事故の場面をまざまざと思い出してしまうとか、同じ場所に近づくことができなくなってしまうとか。

同じ(ような)事象を見て、それを「反応」と言うか、「症状」と言うか、これは我々の知る現場では、単なる言葉の違いに留まらず、クライアントに与えるメッセージが大きく変わり、カウンセリングや教育全体の印象や成果までを左右する可能性があります。
時には「裏のメッセージ」が含まれてしまい、良かれと思ってしている行為が、悪影響をもたらすかもしれないということです。

カウンセリングにしても教育にしても、その本質がコミュニケーションでありメッセージのコントロールであるとするならば、そのツールのディテール「だけ」にこだわるのは間違いです。
テニスで、一つ一つのショットのコースやスピード、精度は大事ですが、相手とのやり取りで生まれるラリー、そしてポイント、ゲーム、最終的には試合に勝つことが目標になります。
言葉にしてもメッセージにしても、何か絶対的な使い方やルールがあって、習った通りにしていればいつでも安心で間違いなし、というものではないことに気づきましょう。
それが、個人や他者としてのクライアントを本当にサポートすることにつながります。

2011-03-24 08:00

後悔、は後ろ向きではない

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過去の失敗や不幸なできごとについて、長い間クヨクヨと思い煩うことは、「後ろ向き」の感情や思考であって、マイナスのイメージがある。
これが「反省」となると、やっていることは同じでも、途端にポジティブな印象になるから不思議だ。

結局、過去は変えられない。
では、人間は、なぜわざわざ後悔するのか。
後悔することに意味がないということはありうるか。

人間は後悔することによって、そのできごとを、よりハッキリと記憶する。
それは記録することにつながったり、社会として共有することにもつながる。
場合によっては、その人の次の言動を大きく変えてしまったり、動きを止めてしまったりもする。
そして、後悔が変えたのは過去ではなく、現在や未来である。

そう考えると、後悔というのはしごく、前向き、未来に向かう思考だと思える。

2011-03-23 07:00

大規模災害の被災者に対して心理的支援をする際の準備知識

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印象だけで考えても、今回の東北関東大震災規模の災害の被災者や関係者は体験やグリーフが先々にトラブルの元になる可能性は高いと思われる。
その理由を述べる。

基礎的な知識として、同じような衝撃のイベントに出会ったとして、いわゆるPTSDのようなある一定基準上のトラブルにつながる可能性が高くなる要素は以下のようなものである。

  • 災害体験の前から、大きな疲労の蓄積があったり、うつ(またはそのリハビリ期)であったりする場合
  • 以前に、その災害に類似した危機を単回あるいは複数回繰り返し体験している場合(一見、経験の少ない若者の方がストレス耐性が低く思えるが、同じ種類の強いストレスに曝露したベテランが必ずしも「慣れる」、つまり「耐性を獲得する」とは言い切れない)

例えば今般の震災状況を見ても、被災者の多くに降り掛かったイベントは、生命の危険を感じたとか、家族と死別したとか、財産を失ったとかの単発・単純事象ではない。
(もちろん、それらは単独に、平時に起こったとしても、十分に精神的・社会的トラブルの原因となり得るレベルのものである)
安全やインフラを完全に奪われている。
人間の基本的欲求と称される、衣・食・住を確保できていない。
しかもそれらがすでに1週間以上続いている。
努力はなされているが、劇的に改善する希望や予感に乏しい。

このように、それ「だけ」でも極大な衝撃の出来事に加えて、身体的なストレスも同時かつ長期的に(繰り返し、継続して)かかっているとことである。
これは前述したようにトラウマ的イベントに曝されたことが、時間経過後にも適当な心理的処理がうまくされずに、トラブルが生じる要素が含まれているということになる。

そして、このことは支援者側にもほぼ同じように当てはまることにも注意したい。
むしろ、この知識や視点は支援者側に「のみ」、まずは持っていて欲しいものだと思っている。
やみくもにリスクの高さだけを指摘しても(そしてそれは一般の感覚としても漠然と認識している)意義は少ないからである。
ぜひ、支援者、当事者、関係者は、プロとしてあらゆる可能性を可能な限り扱いながら成果を挙げて欲しい。

2011-03-22 06:00